弱音器。

久しぶりに水戸。常磐線はやはり独特の雰囲気を持っている。耳栓をして、窓に目張りをされていきなり車内に放り込まれてここは何線だと問われても、常磐線ならば答えられるような気がする。そしてなんだか懐かしい。

懐かしい場所に来るとなんだか昔の自分を思い出したり、素の自分が出てきたりする。なじみがある所に戻ることで、今を生きる上で隠していたり無意識に押し殺していたものが解放されてくる効果があるように思う。

常磐線には思い出ポイントがいくつかある。東京寄りから順に、江戸川を渡って松戸市内に入った直後の車のスクラップ工場、我孫子駅ホームの山下清が働いていたそば屋弥生軒利根川の鉄橋、牛久駅前のショッピングセンター、土浦を出てすぐに広がるひまわり畑、高浜駅前の田園風景と真正面の筑波山偕楽園千波湖。甘かったり酸っぱかったりする思い出と紐づいている。つくばエクスプレスが開通する前に大学を卒業した僕にとって、思い出はあくまで常磐線と共にあるのだ。

★★★

自分の弱いところをキレイにさらけ出せる人は強い。たとえ家族であっても、弱音を吐いたりするのは難しい。友達に包み隠さずさらけ出せる人もあまり多くはないように思う。僕も、元来甘えのある性格なので弱音を吐くこと自体はよくやっている(毎年春の健康診断での採血のときはワーワー言ってるし、本当にたいしたことのないことで騒ぐ)が、恥ずかしさや変なプライドが邪魔をして、本当に大切な部分の弱音は隠していたりもする。要するに吐き出し方やその対象が歪んでいて、弱いところをさらけ出すのは正直下手だと思う。なので、家族や友達に大切なことも含めてちゃんと弱音を吐ける人を見ると、心の開き方が上手いなぁと思って感服する。また逆に、一切周りに弱音を吐かずに自分で背負ってしまって(うつ病になりやすいのもこういうタイプの人ではなかろうか)、潰れてしまったり潰れないまでも我慢して頑張っている人をみるともどかしくなったり、もったいないなぁと思ったりもする。

人に自分の弱音を吐くのは恥ずかしいけれど、人の弱音を聞くのは悪い気はしない。むしろ、そんなことを自分にさらけ出してくれたのか、と感じて嬉しくなるくらいだ。弱音を打ち明けてもらうことで、その人との距離が縮まるように感じる。愚痴や文句を聞かされると嫌な気分になったりネガティブな影響を受けたりするけれども、弱音だとそうはならない。言いっぱなしでもなく、基本的に前向きにものごとを捉えようとする過程で紡ぎ出される言葉だからだろうか。