心のコップが下向きになる。
だめな人の気持ちは、だめになったことのある人にしかわからない。
気持ちがだめになると、独りでどんどん考え込むようになる。たいていは誰かに相談すればすぐに解決したり、一歩前に進みそうなことなのだが、誰かに自分のことを話すこと自体が非常に恥ずかったり、自分のプライドが許せなかったりするので、そこで一歩踏み出すことはなかなか難しい。そうして独りで抱えているがゆえに、その壁を突き破るには時間がかかる。
そして独りで考えているうちに、自分は悪くないんだ。環境や相手のせいでこうなったんだ、と考えをすり替えてしまうこともたまにある。そうなると、自分にも責任があることを棚に上げて、他人にこういってやろうなんて考えてしまう。僕もこういう状態になることもあるし、実際に行動に移してしまったことも何度かある。これは後々自分自身でもよく覚えていて、振り返るとその支離滅裂さに恥ずかしくなる。そのおかげか、年々こういう状態に陥っても最後のところで言動には出さずにぐっとこらえられるようにはなったが。。
むろん、言動に出したからといって心がすっきりするわけはないのだ。それなのに、言動に出せばすっきりするはずだ、と思い込んでしまう。実際のところは前述のように恥ずかしさが残るうえに、言動をぶつけてしまった相手との信頼関係が絶たれ、進める可能性があった道を自分自身で断ち切ってしまうだけである。
同じように、独りで考えこんでいると、逃げてしまえばいいんだ、という悪魔のささやきが聞こえてくる。自分ではない誰かのせいにして、自分に対する言い訳をひねり出して、逃げてしまいたくなる。できません、とバンザイしてしまえば楽になる。逃げ切れるはずだ。万が一、逃げたことがバレたとしても、言い訳すればなんとかなるはずだ、と思い込む。
でも、逃げたらそれで終わりだ。たとえどんな理由があったとしても。その場は乗り切れるかもしれないが、間違いなく次の機会は与えられない。面と向かってなにか言われなかったとしても、逃げたことを忘れることはない。逃げることを繰り返せば、やがて周りには誰もいなくなる。逃げることに比べればまだ、気持ちをぶつける方がいく分かましだ。
我慢しろ、けして逃げるな、と言うわけではない。本当に潰れてしまう前にはそうした選択を採るべきである時もある。でも、悶々と考える時間があれば、行動に移してそういった選択肢を回避すべく努力することもできるはずだ。諦めてしまう前に最善を尽くしたか。
それでも、だめな選択肢に引き寄せられてしまうこともある。それはしょうがない。恥ずかしさや後悔や寂しさを糧にして、次はちゃんとやれるように決心するだけだ。