晋吾の思い出。

半期末というところでなかなか忙しかったが、週後半からようやく出口が見えるようになってきた。気を揉む時期も終わり、後は最後の刈り取りを行うだけだ。7月からの四半期もいろいろなことがあったな、と感じる。10月に入ればもう年末が見えてくる。年々時間の経つのが早く感じられる。

★★★

朝晩の空気にことさら冷たさを感じるようになってくると、引退のニュースが流れ込んでくるようになる。スワローズ宮本慎也、タイガース桧山進次郎、ドラゴンズ山崎武志、そしてマリーンズでは小野晋吾が引退を表明した。

スタジアムに試合を見に行く時には、なぜか晋吾が投げていることが多かった。投球を開始する前にポーンとグラブを叩き、リズミカルなフォームで晋吾は淡々と投げていた。2000年背番号63の投手は日曜日ごとに登板しては連勝を続け、『サンデー晋吾』のニックネームが付いた。その頃、僕もまたマリーンズに惹かれるようになった。あの頃、晋吾は高卒7年目の25歳。あれから13年もの月日が流れたのだ。

エースと呼ばれるような存在ではなかった。それぞれの時代の顔ぶれのなかでも、4番手から6番手の先発投手として位置付けられることが多かった。しかしながらマウンドに立つと、粘り強い投球を繰り返し、大崩れするような姿を見ることは少なかった。優勝争いをした年にも活躍してはいたが、どちらかと言うとチームが苦しい一年を送った時に、我慢強く投げ、窮地を支えていたイメージが強かった。

ベテランになってからは、先発のみならず中継ぎもこなした。打線の援護に恵まれないことも少なくなかったが、黙々と投げ続けた。93年のドラフト会議で指名されながら、「プロとしてやっていく自信がない」と言っていた少年が、20年の月日の間マリーンズのユニフォームに袖を通し、自分の役割を果たした。

マリーンズは9月半ばから急失速し、ホークスとの2位争いは熾烈になっている。そんななかで、4年前の小宮山悟のように、引退試合は用意されるだろうか。いや、引退試合と言わず、この窮地を救う投球をもう一度見せて欲しいと言うのはエゴだろうか。でも、彼なら飄々と最後の仕事をやってのける気がするのだ。

泣いても笑っても今シーズンは残り15試合。明日からのホークスとの3連戦がいきなりのヤマ場になる。ここで押し切られると3位確保すらかなり危うくなってくる。晋吾とともに歩んだ20年間を振り返りながら、新しい歴史を刻むべく進むチームに寄り添っていたい。