利と義について。

『利は義の和なり』という言葉がある。正義、大義に則った行いをすれば利益もついてくる、という意味である。まさにその通り、と言いたいところなのだが、ここでいう利益とは恐らく長期的な利益のことを指しているのであり、短期的な利益を追求するのであれば、義に反することを行うのも止むを得ないのではないか、と個人的には思っている。もっとも、短期的な利益を追求しているだけでは、早晩行き詰まってしまい、長期的に見れば全くもって利益にならないものなのだろうが、それでも短期的な利益に誘惑されてしまいがちなのが人間の性なのだと思うし、長期的な視点で動いていたところで、本当に利益がもたらされるまでに競争に負けてしまい、潰れてしまうなどということも考慮しなくてはならないのだと思う。

同じように、好きなことばかりやって生きていくことができればこれ以上の良いことはないのだが、そうは言ってもいられないのも正直なところである。そうやって生きていくことができるのは限られた恵まれた人たちで、お金にならないことにこだわり続けていても、たいていはそうすることによって得られる満足感よりも、お金に困ることによる苦労の方が上回ることになる。まれに、自分の好きでないことをやり続ける苦痛が何ものにも代え難く、自分を貫き続ける人もいるが。。『お金にこだわらず生きていきたい、と言う人の人生ほど、何からなにまでお金に左右されてしまう』とは誰が言ったか。

しかしながら、最後の最後には『義』であったり、『好きなことを貫くこと』に救われた、というケースがあるのも事実である。あまり利益になりにくい事業に価値が見出されて会社にスポンサーが現れたり、好きなことを媒介にしてつながった人が人生を支えてくれることになったり、ということもある。

最近そんなケースをとみに感じることがあって、日々の仕事のなかでも、これが自分の長所だと思ったことを、もっと遠慮なく出していこうと思うようになった。短所は短所で相変わらず多いし、年齢を重ねるなかいまの長所にすがって生きていてもいいものか、と思うこともなくはないのだが、そこは楽天的に考えておけばいいのだと思うようになった。他人の評価を気にしてもしょうがないのだし、評価してくれないのなら、評価してくれるフィールドをまた探せばいいのだ。それよりも、伸ばせる、磨けるところを突き詰めた方がいいと考えている。

甘い考えだとは思う。でも、後からもし後悔することになるのなら、してもいい後悔と、してはいけない後悔と、どちらをするか、ということになれば、自ずと答えも見えてくる。