ありふれたものが、美しい。
ふと、胸がつまる瞬間がある。
それは買い物の帰り道だったり、クルマで旅行に出掛けた道すがらだったり、たいていは外にいる時に、ふとスイッチが入る。ドラマを見たり本を読んで胸がつまる、というものとは少し種類の違う代物である。
もっと具体的に言えば、「ああ、この瞬間のために生きてきたのか」だったり、「この瞬間のことを思い出せば、この先辛いことがあっても生きていける」といった類いの気持ちが湧き上がってくる瞬間が、ある。
そしてその感情こそが、ある人と結ばれて生きていくという過程のなかで得られる、最も素晴らしいことなんじゃないか、と思っている。この話を誰かにするのも恥ずかしいので、ここに書いて後は知らんぷりしておくが。
はたから見ていても、あそこの2人は今まさにそういう感情を発している、などと感じ取ることができたりもする。ただ単にラブラブ(死語?)な状態であるのとは違う何かだ。また、そういう瞬間をお互いに積み重ねてきた夫婦やカップルの間は、特有のオーラをまとっているように思う。これは、夫婦やカップルに限らず、親子、友人、師弟などの間にもあてはまることもあるだろう。恋愛感情とは違う、なんかこうもっと、純粋で美しいものだ。よく知った友人が初めて僕の前にパートナーを連れてきたときに、その2人の間に流れる空気にそんなオーラが混じっていたならば、見ているこちらもとても幸せな気持ちになる。
好きな者どうし、結ばれて結婚すると言うけれど、実際のところ、恋愛の延長線上に結婚があるわけではないと思っている。むしろ、恋愛の感覚をそのまま引きずったり、外面の見栄えばかり気にしているとよろしくない結果を招く危険があると思う。人と人が一緒に生きていくうえで、恋愛感覚はあまり必要ない。その昔、お見合いや親どうしの取り決めによって必ずしも当事者の意思でなく結婚が行われた時代から、結婚というものはそんなに大きく変わっていない。試行錯誤しながら、2人で幸せになろうとする、幸せといっても大それたものでなくて、普段の生活を淡々と営み、たまにちょっと外食したり、出掛けてみるといった、なんら特別ではなくありふれたものなのだ。
ありふれたものを、美しく思い、胸がつまる。きっとそれは、誰の前にも分け隔てなく現れている。それをちゃんと感じ取ってあげて、消化する。それだけで、渇いていた心に潤いが戻り、生きる意味を取り戻せるようになる。