オリンピックが来る、ということ。

既出の通り、2020年夏季五輪は東京開催が決定した。開催決定にいたるまでの経緯や諸問題から、落選しても仕方ないと思ってもいたし、一報を聞いた当初は全く実感もなかったのだが、周りの声を聞くにつれ、じわじわとオリンピックがやってくるんだ、という気持ちが盛り上がってきた。

興味深かったのは、みな一斉に7年後は何歳になっているだろうか、と数え始めたことである。これまでこの国は、1年後さえ見通せないような状態であった。終わりのない不景気に、リーマンショック、忍び寄る高齢化社会原発事故、いつやってくるかわからない災害。。個人レベルでも、この先どうなるだろうか、見通せない人が多いだろう。

そこに、7年後というひとつの目標が現れた。そして、自分はその頃どうしているだろうか、どんな顔をして、オリンピック開幕を迎えるだろうか、ということを個人レベルで考えるようになった。応援することはもちろん、あわよくば何らかの形でオリンピックに携われないだろうか、などと想像するようになった。開催決定によって、周りも自分も、こんなにも7年後の姿を見つめ直すことになるだろうとは昨日の時点では全く想像していなかった。

開催はベイエリアを中心にしたこじんまりとしたものになるということで、オリンピック自体がもたらす直接的な経済効果は思いの外小さいと思われる。しかしながら、大きいのは経済効果ではない、人々に与える心理的な効果なのだろう。生まれてこのかた、国全体で心からワクワクするお祭りを経験したことがなく、国としての成功体験に乏しい僕らを含めた30代以下の日本人にとって、東京五輪は生涯で最大のイベントとなるはずだ。7年後をどう迎えるか、一人ひとりがその命題を真摯に捉え、日々を大事にして生きていくこと、それこそがオリンピックの最大の効果であるのだと思う。律儀な日本人のことだから、7年後といったん目標が決まれば、がむしゃらに頑張るのだろう。それこそが、日本復活の大きな原動力になるのだと考えている。

さてじゃあ自分はどうするのだろうか。7年後は37歳だ。家族はどうなっているだろうか。仕事はどうなっているだろうか。社会はどうなっているだろうか。正直、今までこんなに先のことを考えてみた経験に乏しいので、今はよくわからない。不安がないとも言い切れない。でも、自分がどう関わっていけるだろうか、という根拠のない楽しみの方が大きい。それこそが、オリンピックが持つ夢の正体なんだと思う。