原発反対運動をしている人と話すことがあった。
いわゆる『反原発派』と呼ばれる人にもいろいろある。自然エネルギーの可能性を伸ばすことに熱心な人、とにかく即時脱原発を求める人、そもそも『反原発』を利用して自らの勢力を強くさせることを目論む人、エネルギー安全保障を考慮しながら漸進的な脱原発を考える人、スタンスの違いは大きい。
このスタンスの違いをうまくまとめられないでいる、というのが反原発派がいまいち社会で発言力を得られないでいる、というのが悩みでもある、という話を聞いた。脱原発という同じ目標を掲げている集団どうしで悪口を言い合う。現実的に脱原発を目指すのであれば、少々の違いには目をつぶって連帯すべきであるのに、それができない。先の選挙で議席を獲得した山本太郎にも、各々の意見をまとめられるには至っていない。自分の言っていることが正しい、他の集団の言っているようなことでは目的は達成できない、などと主張することに一生懸命になっている人たちもいる。それに幻滅して活動を離れていく人も少なくない。当事者の人たちにその危機感が乏しいことが1番の問題だそうだ。このままであれば運動はますます先鋭化してジリ貧になるだけだ。
もうひとつ、原発推進派を敵視するような姿勢もよろしくない。よく『原発マフィア』なんて言葉が使われるが、本当にマフィアのような人たちがいるとでも思っているのだろうか。原発が推進されてきたのは、それに関わる個人の問題というよりは、組織や産業界の問題でもある。個人の言動をあげつらってとやかく言うのはお門違いであり、言葉で攻撃をしていても攻撃された方はよりかたくなになるだけであり、周りの評価も下がるだけだ。
『北風と太陽』で言えば、今の反原発運動は北風でしかない。太陽のように仲間を増やし、つながっていくしか、脱原発を現実にする方策はないと思う。そしてさらに言うなれば、政治面からのアプローチだけではなくて、経済面でも、脱原発に賛同してもらえるような団体を増やしていくしかないだろう。そのためには、相手に対する思い込みやレッテルや勝手な敵対的意識は捨てることが不可欠だ。太陽のように輝いて、みんなが加わりたいと思うような集団にならなければならない。
反原発運動に限らず、ケチをつけたり、相手を攻撃するだけでは何も変わらないことがよくわかった。たまにはネガティブになることもいいけど、ポジティブに前に進むものだけがなにかを成し遂げられる。