あまたある世界のなかで。

気温が高いと聞くと僕は、空気の動きがそれだけ活発なのだ、というイメージを膨らませる。空間を構成する窒素やら酸素やらの分子が活発に動き、身体を刺激する。その刺激量と、水素と酸素の化合物がどれだけ存在するか、つまり湿度がどれだけ高いかによって、身体が暑いと感じるのだと思っている。だから暑い暑いと思うのではなくて、あぁ空気がさかんに動いているなぁ、身体が刺激されるなぁと思えば、少しは暑さも紛れそうなものだが、そんな効果も焼け石に水なほどに、やっぱり暑い。

★★★

コンビニや大手チェーン店で、店員が冷凍ケースに入っちゃったり、商品を粗雑に扱っちゃったりしている画像がSNS上にアップされ、それが拡散されて炎上し、チェーンの本部がお詫びを表明したり、当の店員や彼らを取り巻く人々に制裁が加えられた、という一連のできごとを発端にして、「高学歴の世界」と「低学歴の世界」の溝、についての議論がなされたブログ記事を立て続けに読んだ。

「高学歴」と「低学歴」の2つに分けてすっきりと論じるのはあまりにも乱暴だとは思うが、はたから見れば単一民族に見えるこの島国のなかに、多種多様な世界というか、レイヤーが存在しているのは事実である。人が生まれて育っていくなかで、小学校、中学校、高校、短大や大学、サークル、会社、地域社会などでそれぞれの世界が作られる。場合によっては、それぞれの世界のなかにさらに小世界が作られたりもする(これが派閥と呼ばれるものだろうか)。

人は、それぞれの世界でつるむようになる。比較的同質なもの同志で集まるから、コミュニケーションコストは低くなるし、連帯感が生まれたりもする。しかしながら、誰もが自分の属する世界に満足しているわけでもない。学校で、会社で、自分が望むような世界がなく、しぶしぶ目の前にある世界を選ぶこともあるし、経済的な成功や名誉を得るために、その近道となるような世界に我慢して所属する、ということもある。

人によって好き嫌いはそれぞれだし、目的があって好きではない世界にあえて属することもそれはそれで意味があると思う。ただひとつ思うのは、どの世界が優れている、なんてことはないし、そんなことを口に出したり、はっきり言わないまでも言外に匂わせたりするのは最低の行為だということだ。これが、一般的に社会的、経済的に地位が高いとされる人々にしばしば散見されたりする。チェーン店での悪ふざけよりも、よっぽど悪質で、恐ろしい言動だと思うのだ。