失なわれた時間。

あっという間に木曜の夜である。立秋を過ぎて思い出したように気温は上がり、世間は夏休みモードのはずなのだが、僕の手元はそうはいかない。上手くいくかわからない案件や、断り方に悩む案件ばかりが山積みで、精神衛生上良くない限りである。それでも、上手くいく、上手く片付く可能性を信じて淡々とやり続けるしかないのだが。

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人間を取り巻く時間の流れがどんどん速くなってきたのが、ここ数百年ほどの社会の流れだと思う。かつて自然と共に生きるしかなかった人間は、自然が持つ時間の流れに合わせて、今よりものんびりと生きていた。人間が少しずつ力を持つようになり、独自のペースを持つようになったのは産業革命や電気を扱うようになってからだろうか。そのスピードは20世紀に入って加速度を増し、IT技術の進歩がさらにそれを後押しした。

人が一生の間にアクセスすることのできる情報量は格段に増え、訪れることのできる場所も広がった。生活もずいぶんと豊かで便利になったし、命の危険も少なくなった。

しかしそれと引き換えに、たいていの人間は加速した時間の流れのなかで生きていくことを余儀なくされるようになった。世の中にマイペースに進められる仕事はそう多くない。なにかに急き立てられるようにみな生きている。社会の時間の流れに逆らって生きるには、ある種の精神的な強さが必要だろうし、加えて経済的な不自由さに耐えなければならない可能性もある。我慢して社会の速度についていこうとするも、途中で力尽きてバッタリと倒れてしまう、むしろ自分から降りることができずに倒れるまで我慢して頑張り続ける、そんな光景をよく見かけるようになった。

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きっとこれからも時間の流れは速くなっていくのだろう。人間はどこまでついていくことができるのだろうか。ある一定の速度を超えると、拒絶反応が出てくるのだろうか。そして、いつか自然の持つ時間の流れに回帰していくのだろうか。

僕自身、いつまでこの速度のなかで生きていくのか、全くわからない。でも、たった一度の人生、後悔することのないように、ある意味では自分にわがままに生きていきたい。

自分の人生がどうだったかなんて、他人に決められるものではないし、他人と比べるものでもない。行動の結果が結局自分に返ってくるのであれば、好きなように生きたほうがいい。自分が正しいと思うのならば、自分の行動で結果を出してみせるしかない。誰に見せつけるでもない、自分で自分に後悔しないために。