才能について。

特定の分野において天才的な能力を持つことと、一般的に社会性と呼ばれるものが欠如していることは、表裏一体なのではなかろうかと思う。

僕の周りにも、ものすごい才能を持っているのに、他人の気持ちを想像することやごくわずかなストレス耐性、いわゆるよく「コミュニケーション能力」と言われるものが欠落しているがために、会社勤めができなかったり、社会で認められず苦労して生きている人が少なからずいる。能力面では僕なんぞ吹っ飛んでしまうくらいに抜きん出たものを持っているし、ツボにはまったときの集中力はものすごいものがあるだろうに、社会で生きるうえで基本的なところでつまづいてしまったり、つまづいた時に踏ん張ることを放棄してみすみすチャンスを逃してしまったり、そんな姿を何度も見てきた。なにを持って社会で認められると呼ぶのかということもあるし、そもそも社会で認められること自体にそこまでの価値があるのか、という議論もあるが、僕からみると社会性の欠如が原因でその天才的な能力を充分に発揮する機会を失って、能力を生かせない仕事にしか就けないでいるのはもったいないなと思わざるを得ない。
※なお例外として、努力を継続することについて天才的な能力を持つ人がいる。こういう人は自分の欠点すら驚異的な努力で克服しているように思う。努力できる能力それ自体が他のどんな能力にも負けない稀有な才能だ。

アインシュタインをはじめとして、古くから天才と言われた人で、学校で落第したり、社会生活を営むうえで欠点を抱えていた人は少なくない。そんな人が、運良く自分の才能を存分に発揮できるような環境に恵まれたことで、人類史に名を残すような大発見や発明をしたり、後世に残るような作品を創りあげることができたのだと思う。一方で、その何十倍、何百倍もの人が、彼らに匹敵するような才能を持ってこの世に生まれながら、環境に恵まれずそれどころか何の才能も持たない普通の人と比べても不遇な人生を送り亡くなっていったはずである。僕の周りにすらそんな人が何人もいるのだから。

いろんな才能を持ちながら様々な人生を歩む人たちの姿がはるかに可視化されるようになった現代社会は昔と比べて、そんな不遇の天才たちにとって少しは生きやすい世界になっているのだと思う。そうして少しでも多くの天才たちがのびのびとその才能を発揮させることで、人類はもうひとのび進歩していくことができるんじゃないか、なんて思ったりする。