川の流れのように。

11月後半にイタリアから戻ってきてから、なかなか仕事が忙しい状態が続いている。通常2月〜3月が猛烈に忙しくなるのだが、そのあたりの猛烈な案件ラッシュが例年よりも前倒しになっていて、いっぱいいっぱいほどではないけどなかなか忙しい状態がだらだらと続いている。ひと段落する3月末まではまだまだ先が長そうだ。

仕事が忙しくなり、許容量を超えるとと、ちょこちょこミスが出るようになる。自分のペースで仕事ができなくなると、注意力が格段に落ちるのだ。これはある種トラウマやバグのようなものだと思う。最近体罰の是非がよく議論されているが、僕自身は体罰などがあれば完全にパフォーマンスが負の方向に傾く性質だと自覚している。

★★★

いつからか、仕事において個人的な夢や目標を持つことがなくなった。夢や目標を持ってそこに邁進することを否定するわけではないし、邁進できる人は僕にはないパワーがあって立派だなぁと思うが、自分自身は夢や目標をもってそれに向かって意識的に自分を進めていくやり方は合わないなぁと思うようになった(もちろん結果は求めているし、稼ぎたくないとか、仕事をやりたくないというわけではない)。

夢や目標をもってそこに向かっていくというよりは、自分の周りの流れに身を任せるようになった。僕にとって夢や目標というのはそこに向かって無理やり自分をコントロールして向かわせるほどに、間違いなくたどり着きたい場所であるという自信が持てないのだ。なおかつ冒頭の話に即して言えば、自分の夢や目標に縛られてパフォーマンスが落ちたり、視野が狭くなってしまうことが僕は怖いのだ。

自分の夢や目標にこだわらない分、人がなにを求めているのかを意識するようになった。そして人に求められて自分が動けることに喜びを見出したり、逆にその求めに応えられない自分を不甲斐なく感じるようになった(今のところは残念ながら後者のほうが多い)。

自分の周りの流れをよく見極める。そして、その流れがより太く広くなるように動いていくようにする。流れが悪かったり途絶えてしまったときにも地道に道を掘って、また流れがやってくることを気長に待つ。そうすれば慌てなくともチャンスはやってくる。流れをうまく掴んでいる時にはミスも起こりにくい。いくつもの失敗を経て、ようやくそう考えられるようになってきた。

ひとまずは春が来るまで。春を迎える頃には新しい景色が見えてきて、自分が包まれている流れがどんなものか分かってくるはずだ。