ひとり同窓会。

今回の年末年始は例年以上に同窓会チックな集まりが多かった。30歳、既に家庭を持って子どもがいる人もいれば、気ままな独身生活を謳歌している人も入り混じる。もう30歳、というよりはまだ30歳と言うべきか。まだ人生どう転ぶかなんてわからない年齢。これがあと5年、10年経つと随分変わるのだろうか。

30歳にもなるとほぼ全員人間が丸くなっている。学生時代に直接的な関わりがほとんどなかった人とも、それなりにしゃべれるようになっている。人間が丸くなっている姿をみると、一体ぜんたい思春期の頃のとんがりようはなんだったのだろうかと思う。かく言う僕自身も全然人のこと言ってられる立場でもないが。

学生時代には全く気にしていなかった女の子が、ものすごく女性らしくなっていて、心のなかで密かにドキドキする。顔やスタイルは変わっていないはずなのに、着ている服が変わったからだろうか、それとも彼女がまとうオーラが、何らかの経験を経て変わったのだろうか。気がつくと目が逸らせなくなっている。これが同窓会マジックというものか。

今だから言える話、というものが誰しもあるはずだ。自分自身のそんな話を話すときも、他の誰かのそんな話を聞くときも、玉手箱を開けたような気分になる。その当時の空気感や、ふと記憶として納められていたなんでもない瞬間の感情が、ひとつのエピソードを発端として数珠つなぎに湧き上がってくる。

思い出しただけで恥ずかしくなってたまらず独り言を発してしまうようなエピソードもある。10年以上経ってもなお恥ずかしいと思うのだから相当な黒歴史だ。人間とはそもそも恥を撒き散らしながら生きていく生きものなんだなぁと思う。恥ずかしいけれども、忘れてしまいたくはない大切な記憶だ。

高校3年生の頃から、日記のようなものを書き始めた。それから途切れ途切れではあるけれど、ここまで13年間のうちの半分以上の時間を、日記やブログに書き残してきた。振り返って読むと、どんなことを考えていたのか、感じていたのか、文字から行間からその当時の感情が鮮やかに蘇ってくる。記憶や思い出は時間とともに都合よく修飾されがちで、振り返る思い出と、当時の感情には思いのほか開きがあったりもする。もちろん文字だからといってありのままの気持ちを書き残しているわけでもないし、自分に嘘をついたり本音を隠して書いていることもあるのだけど、そんな裏の感情も一緒に蘇ってくる。

昔の日記を読み返すのは、ひとり同窓会のようなもの。だからこそ、やっぱりブログも書きたいと思う。