オリンピックとメンタル。

オリンピックを見ていると、アスリートにとって、実際の競技における能力だけでなくメンタル面での強さが不可欠であるということを感じる。

柔道と体操の競技において、いったん下された判定が覆る場面を何度か見た。柔道男子67キロ級準々決勝については、リアルタイムで判定の場面を見ていた。会場の雰囲気もそうだったが、自らもシドニーで誤審に泣いた経験のある篠原コーチの猛アピールが、判定のやり直しに至る要因となったように見えた。他のケースでも、不可解な判定については泣き寝入りせずにしっかりと主張する、交渉する場面を何度か見ることができた。また、女子サッカーの予選リーグ第3戦において、既に予選突破を決めていた日本チームは、今後の日程や予想される対戦相手等を判断したうえで、あえて2位通過することを念頭に、途中から無理に点を取りに行かず引き分けを狙いにいく戦い方に切り替えた。決勝トーナメントをうまく勝ち上がっていくための戦略としては褒められるべき戦い方だと思うが、この姿勢が一部では無気力試合やオリンピック精神に反するのではないかと物議を醸している。こうした戦い方の是非をあえて言うつもりはないが、このような過程を経ても自分の心理状態を保ち、最後まで勝ち続けるには、相当なメンタルタフネスが求められるだろう。

また、結果を残したなら残したで、アスリートはものすごい取材の渦に巻き込まれる。この時期、テレビ番組はほとんど日本選手団応援団とイコールの存在になる。メダルを獲得した選手はほぼ100%翌朝の情報番組に次から次へと引っ張り出され、その姿を見ていると時にかわいそうな気持ちにもなる。実際に、大舞台を終えた後のフィーバーとも言うべき状態に身を置くことで、本来の競技において調子を崩したり、精神的に参ってしまうアスリートは少なくない。このような事態を招くメディアの姿勢は個人的には好きではないのだが、だからといってメディアから選手たちを守ろうとするよりは、アスリートたちがもっと能動的に、メディアをうまく味方につけて自分を表現するツールとして使えばいいのになぁ、と思う。日本ではストイックに競技に打ち込むことが良いこととされる風潮が強いが、メディアとの付き合い方をはじめとして、周囲を取り巻く状況すべてを自分にとって都合が良くなるようにコントロールする能力が、今のアスリートに求められているのではないかと思う。

このようなメンタルタフネスを蓄えることは、アスリートにとって現役を引退した後の人生にも役立つだろうし、アスリートでない僕たちにとっても、学ぶべき価値のあるものなのではないかと思う。