心のベント。

昨日は大阪から西へ、きょうは大阪から東へ。久しぶりにハンドルを握った。春の陽光が強く差し込んできて、車の窓を開けていないと暑く感じるほど。だんだんと空気によどみが交じってきて、桜が咲く季節が近づいていることを肌で感じる。ゆったりと流れる瀬田川宇治川の側を走って、渋滞でげんなりしていた心が少し癒される。

★★★

意外に思われる人も、ああそうだよねと思う人もいるだろうが、僕は怒りっぽい。父親譲りのせっかちな気質に加えて、自分の思うとおりに事が済まないと落ち着かなくなったりする。「こだわり」が強い、という意味では、軽く自閉症の要素も持っているのかもしれない。これらの性質は自分でも自覚しているし、幸いなことに大抵の場面では自分で自分をコントロールできている(と思っているが現実はどうだろうか。。)ので、実際に怒りを爆発させたりすることはほとんどない。しかしながら、ふとした仕草や言葉や文章に、感情がにじみ出てしまうことはよくあると自分でも思う。もしかしたらそれらが誰かを傷付けたり、不快な気分にさせていることもあると思う。これらの言動は正当化できるものではないと十分承知ではあるが、自分のなかの怒りをうまく発散させる手段として、どうしても頼ってしまってしまっている。これらの言動は、原発が非常事態に陥ったときに行うベントに非常に似ている。アンコントローラブルな状況に陥る前に、自分の怒りの弁を少し緩めて発散させてやるのである。

しかしながら、一番効果的に怒りを鎮める方法は、怒りの発端となっている当事者と直に話すことだと思う。自分ひとりで悶々と怒りを溜めていても、いざ当事者と面と向かうと、ぶつけてやろうと準備した言葉は案外出てこなくて、そのうちに自分の心のなかからも怒りそのものが消えていることが多い。少なくとも僕の場合、怒りの発端となるたいていの事柄は冷静に見れば些細なことであって、それを自分のなかで勝手に増幅させてしまっているのだ。他の人の場合はどうなのかはわからないが、恐らく僕と同じような感覚を持つ人も多いのではないだろうか。怒りを育ててしまっているのである。自分の中で解決できたり、当事者と話して鎮まるのであれば特に問題はないのだが、怒りを育てて大きくしてしまったままに当事者や周りにぶつけてしまうと、なんとも悲しい。なによりも、自分自身の価値を大きく下げてしまうと思う。

怒りを原動力にして大きく成長する人もなかにはいるが、なかなか稀だろう。少なくとも僕は爆発することのないようにコントロールするだけで精一杯だ。