彩り。

水戸に出張した帰り道。きのうから夏がぶり返したような暑さだ。そろそろ朝晩涼しさを感じられるようになった頃に、季節が逆戻りしたような暑さをくらうのはきつい。眠りも浅くなる。

★★★

この週末、オマーンから休暇で帰国した彼と二泊三日で遊んだ。自宅に泊まってもらった後、つくばに向かい懐かしの場所を巡って、10年前に過ごした平砂宿舎の銭湯につかり、郊外の宿泊施設に泊まって過ごした。あっという間の、それはそれは楽しい時間だった。

僕自身は東京で暮らしていながらも、出張が多いので茨城県に行くことも年に数回はあるし、実家のある関西にも月に一度くらいのペースで帰っているので、もはやどちらに行っても見慣れた風景であり、懐かしいという感情もそれほどないと言うのが正直なところだ。だから、何年かの時を経て久しぶりにふるさとを訪れる時のワクワクした気分、周りの景色の変化を全身で感じ取れる感覚が、時にうらやましくなったりもする。

昔過ごした場所に戻るときに、景色を捉える感覚が違って見えるのは、それだけ自分自身の内面が変わっていることの証だと思う。自分が遭遇した経験を通して、視線の軸が変わり、周りの景色の見え方が変わるのだろう。

同じ景色を見ても、それぞれの人が違う印象を得るのはそれぞれの見え方が違うことによるのだと思う。そしてその印象の積み重ねが、ひとの一生を彩るのだと思う。

そして、昔過ごした場所に、昔一緒に過ごした人と戻ると、ひときわ「生きている」ことを実感する。昔のある一点を起点として、今の自分が立っている場所にひとつの線(普段は見えない)が引かれているのが見える。みなの歩んできたそれぞれの線が見える。そうして初めて自分の歩んできた道も、いつもよりも客観的に見えてくる。過ぎてしまったどうしようもない出来事も、夢中で切り拓いていった道のりも等しく受け容れられる心境になる。

三日間、楽しく遊んでいながらも、自然に脳裏にそんなことが浮かんでは消えた。意識的に考えているるわけではないのだけど、勝手に説明がつかない感情が湧き上がってくるのだ。

ファインダー越しに覗いた友人の、満面の笑みでラーメン鉢を抱える姿や、夏から秋のそれになりつつある雲を抱いて暮れゆく筑波山を見ながら車を走らせる瞬間に、湧き上がってくる感情に、「生きている」ことを再確認させられるのだ。