シェムリアップから川崎まで。
社会人1年目の秋にカンボジアに行った。まだまだ学生時代の旅スタイルを引きずっていたので、ご丁寧なことにバンコクとシェムリアップを陸路で往復した。行きはバイクの後部座席で日射しにクラクラになったり、トラックの助手席に詰め込まれて脱水症状になりながら、帰りは恐ろしいほど冷房の効いたツーリストバスで欧米人パッカーの中で凍えながら、土ぼこりの舞うぼこぼこの道を通ったのがなかなか感慨深い。あれ以来ハードな陸路移動はしていない。
★★★
そんなこんなでたどり着いたシェムリアップは、こじんまりとした可愛い街で、とても過ごしやすかった。アンコールワットも良かったが、僕は街のたたずまいが大層気に入った。
きっかけは忘れたが、そこで僕は40歳くらいの女性の旅行者と出会い、行動をともにした。とはいっても、僕はゲストハウスに泊まり、彼女はもう少しグレードの高いホテルに泊まっていたので、昼頃落ち合って夕食まで一緒にいる、というパターンだ。
彼女とはバイクを借りていろんなところに行った。借りたといっても、カンボジアの道はでこぼこすぎて自分で運転するには危険なので、地元の兄ちゃんにかけあって1日いくらで乗っけてもらうというものだ。いわゆる3ケツになる。
そうしていろんなところに行った。地雷の博物館に行って地雷被害のありさまに言葉を失ったり、農村に行って子どもと遊んだり、夕方17時を過ぎてゲートに人がいなくなったアンコールワットに侵入して、夕日を眺めたり。その頃僕は大学の頃から付き合っていた人とも別れ、抜け殻のような日々を送っていたので、景色のいいところに出てもひたすらぼーっとしていた。彼女の身の上はあまり聞かなかったが、多くをしゃべるでもなく、同じようにぼーっとしていた。もしかすると、辛いことがあったのかもしれない、と思っていた。
ある日、プノンクロムという遺跡に向かった。シェムリからは南に10キロ、トンレサップ湖に浮かぶようにそびえ立つ山の上にある遺跡である。ちょうど雨季の頃で、山とそこにつながる細い半島以外は湖が広がっていた。さながら海の上に浮かぶ山のようである。山の頂上、誰もいない遺跡で、ひたすら湖と原生林の広がる景色を見ていた。時折、飛行機が飛んでいるのが見え、それが唯一現在が21世紀であることを証明していた。
言葉は少なかったが、帰りのバイクで、彼女はいつもにもまして、ぎゅっと僕の腰を掴んでいた。住所を交換して、その旅は終わった。23歳になろうとする秋の話だ。それからは何もない。そしてそこから6年が経ち、その住所の近くに僕は引っ越した。