塩釜から石巻へ。

福島〜仙台〜石巻と出張。今週はいまのところ月曜から金曜まで毎日東京にいない予定なのでいささかデスクワークが心配だが。。

津波の被害が激しかった地域を初めて訪れる。仙台市内から国道45号線を東へ、ところどころ家の前に家財道具が積まれている。塩釜市内、まだ信号機が復旧しておらず警官が交通整理をしている。担当している物件でも地盤沈下が起こっている。

塩釜から石巻に向かう。松島海岸から先は鉄道がまだ復旧していないので代行バスに乗り換える。松島周辺はほとんど被害がない。沖に浮かぶ島々が津波を防いだのだ。東松島市に入ると海岸線がもろに太平洋に向いているため、状況は変わる。

手元のiPhoneの地図には45号線から海側にまだ平地が広がっているはずだが、目の前には海が広がっている。流されたのかはわからない。山側に目を転じると、ぱらぱらと家が建ち並んでいるが、1階も2階も壁一面がぶち抜かれている。家のなかは既に片付けられている。海側に面した、玄関と窓と壁を失った、まるでパーツのない顔のようないでたちの家が並んでいる。片付けが終わる前はどんな有様だったのだろうか。野蒜の集落を抜けて鳴瀬川を渡る手前の丘に、あの日以来止まったままの電車がいた。

ショッピングセンターが立ち並ぶ新市街を見る限り、石巻は一見それほど被害もないように思える。海側に出るとその景色は一変する。海側の旧市街はどこも1階部分が完全に水に浸かり、地震自体のダメージも相当受けている。思い切って再開発をしなければゴーストタウンになる。こと石巻に限って言えば、(語弊があることを承知で言うが)さびれつつある旧市街のみが甚大な被害を受けたため、日々の生活にすぐに困るという状態ではない。最近の地方都市によくあるイオンを中心としたショッピングエリアに押されながらぎりぎり頑張っていた昔ながらの飲食店や専門店が最後の一撃をくらったようなものだ。これをどう立て直すか、という命題は石巻という街をどう再構成するのかという話につながってくる。復旧するだけではもはや意味がなくて、街全体の中で旧市街をどう位置付けするのか定めたうえでの復興プランを考えないと意味がないのだろうな、と思う。単に今までと同じ状態に戻すことは、そこにいる当事者にとっても不幸なことなのではないだろうか、と感じた。

他にも感じたことがあったのでまたの機会に書こうと思う。きょうは仙台泊。