只見線の記憶。

郡山と会津若松に出張。低気圧の影響で、朝玄関を出た時点では絶望的な土砂降りに見舞われ、靴下に浸水、背中もずぶ濡れになり非常に気持ちの悪いスタートだったが、那須塩原を過ぎるころにはカラッとした日差しに包まれて、終わってみれば気持ちのいい初夏の一日だった。会津の山々の緑色が目に眩しいし、アジアの地方都市のようにこじんまりとして、それでいて歴史の落ち着きのある町並みが優しい。

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4年半前の天皇誕生日に、会津若松から只見線に乗ったことを思い出した。クリスマスイブイブ(確か24日以降は平日だった)にひとりだったので、せめて東京から離れたところに行こうと思ったのだ。今の奥さまと出会う半月前のことである。只見線とは、会津若松新潟県の小出(新潟県魚沼市、越後湯沢と長岡の中間)を結ぶ、JR東日本管内でも有数のローカル線である。鈍行列車しか走っておらず、山また山の全線135キロを走破するには5時間近くかかる。全線を走破する列車は1日3往復しかなく、東京から日帰りで全線を乗り通そうとすると、会津若松を13時頃に出る列車に乗るしかない。

このあたりは相当に雪深い地帯でもあり、既に雪が積もりはじめていたことを記憶している。真冬になると線路の両側が雪の壁になるという。いつ廃止されてもおかしくない路線ではあるが、これまで残っているのは、並行して走る国道が豪雪のため冬季通行止めとなり、この鉄道が唯一の交通手段となるために、廃止されず残っているとのことだ。そこいらのローカル線でも見ないような旧式のディーゼルカー2両が、大量の重油を消費しながらのろのろと山間を走っていく。車内は時が止まっているように静かだ。やがて深く山に囲まれた駅に停まり、反対列車との交換待ち合わせで10数分停車するとのことで、腰を上げて駅の外に出てみた。駅前の通りには切り出したであろう木材を壁に立てかけた数軒の民家があるだけで、ひっそりと静まり返っている。遠く東京の、クリスマスを前にしたざわついた空気から、ここはあまりにも遠い。秘境のような雰囲気をたたえた湖をなめるように走って、ディーゼルカーはとっぷりと日の暮れた新潟県側に下りていった。この年は身の回りの環境がいろいろと変わった特に感慨深い年だった。

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そんなことを思い出して、会津若松を後にする。現在の只見線は昨年夏の新潟・福島豪雨によって鉄橋の崩落などの被害を受け、一部区間について復旧の目処が立っていない。