仙台から名取へ。

きょうは仙台周辺をゆく。仙台東部道路を走って仙台空港方面へ。仙台市の東部に広がる平野はもともと海岸に向かって広大な水田が広がる地帯で、そこを南北に貫いているのがこの道路である。大部分が盛土で造られているこの道路が押し寄せる津波に対して防波堤のような役割を果たした。(もっとも高架部分では津波はその下をすり抜けて市街に流れ込んだ)

仙台東部道路から海岸方向を見る。あの日の夜、海岸に数百の遺体が打ち上げられていると第一報が流れた若林区の海岸である。一面に雑草が生い茂っていて、ところどころに車が転がっている。4月ごろはまだ一面が泥で覆われていたそうだ。泥を取り除いたわけではない。その上に一面に草が生えているのだ。

雑草は至るところに生えている。道路脇に積み上げられた瓦礫(もともとはそれぞれが目的を持った「なにか」であったのであって、瓦礫と呼ぶのは心が痛む)の山から1メートル以上の雑草が生えて、もともとあった小山のようになっている。

仙台空港の海側の地域に行く。もともとは人家が立ち並ぶ集落だったところであるが、今はただ雑草が生い茂った原っぱになっている。墓地がある。墓石は流されていて基礎だけが残っている。墓石の中の骨つぼも流されたそうだ。震災直後、転がっている遺体のなかには、指と歯のないものが多かったという。指輪と金歯。言葉もない。昨日からいろいろと考えていたこともあったが、全部吹き飛んだ。

海沿いで仮設ながらそれぞれの営業を再開している人たちの姿もある。確かに甚大な被害を受けたが、逆に捉えれば千年に一度のビジネスチャンスなのである。潰れそうだった土建屋が、7時から23時まで働いても仕事が終わらない活況が続いている。ダンプ運転手が月収70万円以上を稼いでいる。本当にたくましい。

びっくりするほど伸びるのが早い雑草のように、東京では見えなかった新しい芽が出てきていることを、仙台で感じた。東北には何度か出張できていたけど、正直これまで実感があまりなかった。被災地にボランティアにも行ってないし。もっと早く見ておけばよかったと思う。新しい芽吹きを注意深く捉えていくことで、自分自身の担当しているアセットからも利益を生み、少しだけでも復興支援になる。やっぱり現地に行かなければそのインスピレーションも湧いてこない。

幸いにして今の自分の仕事ではかなりの裁量を与えてもらっているので、それを生かして、もっと被災地に対して直接的にできることがあるんじゃないかと思えた。