親戚。

少し前のことにはなるのだが、親戚のおじさんが亡くなった。小さい頃から何度も遊びに行って、可愛がってくれたおじさんだった。

自分自身の身を振り返ると、30年前に比べて親戚付き合いが減ったのは確かだろう。子どもの頃は、お年玉をもらいにお正月は親戚のお家を順ぐりに回ったものだ。気がついてみればほとんどみな鬼籍に入ってしまった。祖父母の実家との関係はほとんどなくなってしまったと思う。今から会ったところでももうなにを話すわけでもない。

唯一残っていると言えば父母のきょうだい、いとこ同士の付き合いだけれども、これも基本的には自分たちで主体的に、というよりは父母が主導なもので、直接連絡を取り合う、というものでもない。年賀状のやり取りが続いているのが、ひと筋のつながりのようなもので、これはなんとなく絶やしてはならないのかな、とも思っている。ただ、こういうつながりをどうしていくか、というのもまた考えていかねばならないのだろう。

まだまだ自分は、親に手を引かれていた時代を引きずっている、と思う。それもいよいよあと数年で終わるはずだ。

腐れ縁。

旧知の友人と話をする。ああ、その昔、5年前くらいだっけか、その時にいた場所から抜け出そうとしてもがいては、その人によく会っていたな、ということを思い出す。やがて、同僚として一緒に働くことになり、いくつかの仕事を共に成し遂げ、そして誰かれともなく一緒にいた場所から去り、いまはお互いの道を歩んでいる。

お互い、変わったような変わらないような感じだ。立ち位置もあまり変わらない。気心が知れているので、話す内容などはあまり変わっていない。年齢を重ねてしまったからなのか、与太話は減ってしまったし、プライベートに大きく突っ込んでいくこともなくなりはしたけれども。

もうそろそろ競争から降りてもいい年齢なのだけれども、それぞれにそのタイミングを逸しながら、まだ自分もなにかできるはずだ、という思いを捨てずに動いている。ただ、昔のように無理はできないな、ということも痛く感じてはいる。階段をそろそろと降りて、等身大の自分で、またまっさらな関係で付き合えたら、という願望もある。もうしばらく、先の話だろうか。

お休み。

朝の支度が終わって、ひと足先に妻が仕事に出かけて、さてきょうも9時前くらいには家を出るかと気もそぞろにワイシャツを羽織った頃、急に息子が「のどが痛い、きょうは学校に行きたくない」と言い出した。一瞬、もう仕事に行くから休むなら1人で留守番してな、と言いかけそうになったものの、まあそんな日もあるだろうと思い直し、きょうの予定を確認する。リアルの面談をオンラインや電話にすり替えたり、2人で行くアポイントを単独で行ってもらってもなんとかなりそうだ。調整のつく日で良かったと思い直し、じゃあきょうは1日うちにいたら、と言う。そしていったん着替えた服を部屋着に着なおす。

午前中こそはしおらしく勉強をしたり、レゴや仮面ライダーのベルトやカードで遊んだりしており、約束通りYouTubeやテレビは見ずに過ごしていたのだが、午後になると体調も少し回復し慣れてきたのか、いつも通りの暴れようだ。それでも電話会議等もあるので、その間はちゃんと大人しくはしていたのだが、勝手に携帯電話を取り上げて寝室でYouTubeを見はじめたりしている。相変わらずである。

夕方にいちおう診察にいく。いまはそういう規定なのだろうからしょうがないが、事前の通告もなくいきなり鼻に綿棒が突っ込まれPCR検査が行われる。結果はなにもなくただの風邪であった。普段は忙しくしているから、たまにはこういうゆっくりする日も確かに必要だろう。早春らしい暖かい1日をひねもす息子と過ごす。

申告。

確定申告を済ませる。去年は少し複雑な申告を必要とする状況にあって、1年前くらいから大変だなぁ、憂鬱だなぁと思っていたのだが、一念発起して動いてみたら、2時間ほど税務署で悪戦苦闘したもののすんなりと終わらせることができたので、拍子抜けしたというか、肩の荷が下りた気分である。マイナンバーも遅ればせながら申請をしたので、さすがに来年からはもう少し楽にはなるだろう。日ごろからおカネや数字を扱う仕事をしているにもかかわらずこういう手続きが苦手で、いちいち自分で解決できずに、職員さんに聞かなければ分からない始末ということはどうしたものか、と自分でも思う。

自分の父は税務職員だった。ついぞどんな仕事だったのかちゃんと聞くことなく、もう父は定年して10年目になり、仕事をしていた頃の記憶ははるか遠くになりにけり、である。いつか聞くことがあるのだろうか。もう話がかみ合わないかもしれない。聞いた方が良いのか、聞かずに人生を終わらせる方が良いのか、いまだによく分からない。

そんなことを思い起こしながら、気が付けば60歳を一区切りとすればもう折り返し地点にきている。おそらくは60歳を超えてもまだまだ働くことにはなるのだろうが、後半はどんな景色を見ることになるだろうか。

雨水。

今年も季節の進みが早い。24節気の「雨水」の名の通り、氷が溶けてきてフレッシュな水が流れ出したような感覚を覚える。それとともに花粉も飛散をはじめたり、なんだか暖かくなってきたせいか眠くなってきたりもしているけれども、それも含めて春がきたんだなぁと思う。こわばっていた身体もほぐれはじめて、もう一段ギアを上げて動く時期が来ているんだなぁと思う。

世の中には仕事があふれており、それに対してまともに動ける人がとにかく少ないなぁと思う。自分自身もまた言うほど有能な人間ではないのだが、とにかく特定のニーズを必要としている人と、特定のニーズを持っている人をつなげることについては自分でしかできない役目だと自覚しており、なんとかそこで自分の付加価値を見出していきたいと考えている。

正直なところちょっと疲れも溜まってきてはいるけれども、季節の進みに力をもらって、できることをやっていきたい。まだまだ夢中で没頭するべき年齢だと思っている。

学びとデジャヴ。

思い込みというのはやっかいなものである。仕事で部下に作業をお願いするときに、「これまでのキャリアからして、これくらいはこの納期でやってくれるだろう」という見立てを勝手に立てて依頼するものの、いっこうに進んでいる気配がない。サボっているのかなあと思って多少イライラしながら、それでも放置をしていて、いざミーティングになって案の定求める水準の半分くらいしかできていない。

 

ここでやっと、ああどうやっていいかわからなかったんだ、ということに気づく。こちらが最初に適切に時間を確保して手取り足取り指導をしていれば、時間を無駄にせずに済んだことなのだ。ただ、あえて自分で考えさせることも必要だったのかもしれない。

 

そして、出来上がりの水準を予め明示しておくことも必要だったのだろう。もちろんこれもなんでもかんでもお膳立てをしてあげる必要はないが、目安がないとなにも動けない。自分も24-25歳くらいの頃はこんな感じだったよなあ、という感覚を久しぶりに思い出した。習熟していれば10秒でできることを、あれこれ1時間考え込んでしまう。こういうことを40歳になって気づいているのも、あんまり早いわけでもないだろうなあと思いながら、また日々は続く。

老成。

温暖な地方に行く、もうこの時期から早咲きの桜がかの地では花開いている。偶然の産物からこの地域に足を踏み入れることになったのだが、いい場所だなとつくづく思う。

 

この地域が最も栄えたのは、昭和40-60年代なのであろう。バスが1日に何台も横付けになり、宴会場が何百人とひしめいていた時代だ。この国はいまよりもずっと若かったし、その勤勉な労働者が社員旅行という名のレクリエーションをしていた時代だ。

 

いまの若者のほうが安価でなんでも手に入る時代になったのは事実だ。そして、情報も以前と比べればぐっと入手しやすくなった。しかしながら、昔の社員旅行のような体験からは相対的に遠ざかってしまったし、身分の安定もないように思う。どちらがいい時代なのかはわからない。ただ、この地方の自然は昔と変わらず穏やかに人間を見守っている。若い人もいるにはいるが、どちらかというと、リタイアしてしまった人が憩いにきて、もてなす側も相当に高齢化している。老いた国になってしまった。