無限。

鬼滅の刃無限列車編」を子供と見る。アニメを何編か見たことがあるものの、ちゃんと視聴するのは初めてであるが、映画だけ単発で見てもすっと入ってくる内容であった。


なるほど、戦闘シーンの作画は素晴らしい。最近アニメをろくに見ていないので、こういう描き方がもはや普通になっているのか、それとも本作特有のものなのかはわからないが、脳天に刺さりやすい描写である。


最終盤は、死に対する向き合い方の話なんだな、と感じた。鬼になれば100年でも200年でも生きられるぞと誘ってくる猗窩座(あかざ)、それを断って乗客の命を守るために戦う煉獄(れんごく)、挟みこまれる回想シーン、決着はつかず、無限の命を持つはずの猗窩座が逃げて、戦い抜いた煉獄が死を受け入れながら周りの人への言葉を残して命を落とす。そんな一連のやりとりに横たわる「無限」列車という舞台はなんのことを指すのだろうと考えながら見ていた。


命を守るために、それよりも大切かもしれないであろうさまざまなものが自粛させられ、存在を脅かされているいまの世の中、この作品が流行ったワケが少しわかった気がした。

9月26日。

926日。ふと、大阪近鉄の優勝から20年という言葉を目にした。そうか、あれから20年が経ったということか。


北川博敏サヨナラホームランのシーンは何度見ても痺れる。あの瞬間の記憶があるから、普段どんなに辛いことに直面していても生きていける、なんて人も少なくないんじゃなかろうか。


あの頃の大阪もなかなかにボロボロだったけど、まだ平均年齢はいまと比べれば若くて、血気盛んなところも多かった。大阪は好きだけど、なんとなくそうしたやんちゃなところになじめなくて、関東に出ることにした。


20年が経って、大阪は東京よりも「老いた」都市になり、やんちゃさは鳴りを潜めてしまった。今だったらなじめるのかもしれない、と思うこともある。古いものがいよいよガラガラと音を立てて崩れはじめ、全く新しいものが代わりに作られようとしている場面に出くわすことも増えてきた。


40にして惑わず、という言葉を目にした。いろんなことを経てきて、いまなら腰の据わった仕事、社会に対して遺せることがあるだろうか。あの日の興奮を胸のうちに秘めたままに、自分なりの奇跡を起こすことを、まだ諦めていない。

アヘン戦争。

先日Webで流れてきたフィラデルフィアの街並みの動画は衝撃的であった。薬物中毒の人たちがゾンビのようにうろつく内容であった。米国では年に十万人が薬物中毒で亡くなるという。だとすると、薬物中毒になっている人は数百万人オーダーでいるのではなかろうか。


薬物中毒の原因となっているオピオイドは中国で作られ、米国に流通するようになったものが多いようである。だとすると、中国はアヘン戦争でやられたことを、180年経って米国にお見舞いしていると言ってもいいのかもしれない。


中国は未成年へのゲーム時間も制限したし、暗号資産も禁止にしようとしているし、国内外ともにさまざまに仕掛けをしているのは間違いないだろう。それが正しい方向に向かっているのかはわからないが、共産党政権の維持や、国民の人気を取るためには致し方ない動きなのだろう。よもや世界恐慌になったとしても、国内の大手企業をデフォルトさせたとしても、意に介さないのだろうなということがだんだん分かってきた。どこかで破たんするかとは予想していたが、案外そうでもないのかもしれない。そして米国は弱体化が進む。

KK。

あっという間に金曜。


小室圭さんがNYの街頭を歩く姿が朝のニュースで報じられていた。リポーターが歩きながら質問を浴びせる、おそらくはカメラマンも後ろ向きで歩きながら接写しているのだろう。もうこういうことはやめたらいいのに、と思う。


小室圭さんはなにも語らず、リポーターが眼中に入らないかのように前を向いて歩き続けていた。長く伸ばした髪の毛は後ろでポニーテールのように、いやむしろちょんまげのように結ばれていた。


皇室の方を迎えるのだからもうちょっとマシな恰好をしろよ、だとか態度がなってないぞ、なんて気持ちは毛頭思い浮かばなかった。その姿は髪型もあいまって坂本龍馬のようで、なんとも凛々しいものであった。


むろん、彼がどこまでNYでの生活を成功させるかはわからない。いろいろと批判も浴び続けることになるだろう。そういうものも全て飲み込む覚悟の人間の眼をしていた。


本人たちが納得していれば、これはこれでいいんじゃないだろうか。もはや外野が騒ぐことでもなかろう。それだけ、覚悟した人間の姿は尊いものだと思う。

くぐり抜けて。

923日。今年の秋分点を迎える日である。1年前はいろいろな思いを巡らせていた時期であった。あれからいろんなことがあった。この世にはもういない人もいるだろう。


2020年の1年間は、内面を問い直して深める時間であった。特に去年の夏はよくよく考えた時間であった。そこから転じて今年に入ってからは、いったん心を空っぽにしてとにかく動いてみる、実践してみる、という時間が続いている。そのなかで、未来に繋がる新しい動きも出てきたし、人間関係も少し変わってきた。今年を最後まで完走したときに、どんな景色が見えてくるのだろう。


なんだかんだでオリンピックもパラリンピックもすんなりと終わった。僕としては拍子抜けしている部分もある。なんとなくあく抜けしたというか、古くて滞っていたものが浄化されたような間隔はある。大過なくここまで来られているということはもしかすると、ぎりぎりで日本は生まれ変われたのかもしれない。


また、ひとつのポイントをくぐり抜けて、次のゴールへと加速する、そんな気持ちを携えて、きょうの日を迎える。

丹沢。

数年ぶりの登山。ハイキング程度のものは行っていたけど、まる一日の本格的なものはそれこそ前回がいつだったか覚えていないくらい。


9年ぶりの丹沢。丹沢には何度か訪れたことがあって、昔はスイスイと行けていた記憶があるのだが、さすがにもうそういうわけにもいかない。子ども連れでもあることだし。それでも、なかなかに良い気候の後押しもあり、夕方まで満喫することができた。


コースタイムよりも時間がかかってしまうこともあり、さすがにフルコースは諦めたものの、それでも麓のバス停に降りてきたのは17時前。8時半にバスを降りて歩き出したことを思えばよく歩いたもんだ。フルコースで歩けば日が暮れてしまっていたであろう。


息子は精力的に歩き、最後の林道こそ疲れておぶってもらってはいたものの、立派なものである。本人の自身にもなったはずだ。そして、こうやって家族で過ごす時間はあっという間に終わってしまうんだろうなあ、しっかりと遊べているかなあ、としみじみと思う。久しぶりに引っ張り出した登山用具も含めて止まっていた時計がまた動き出した。

もう一度。

長年お付き合いのあった人と疎遠になって半年以上が過ぎた。共通の知り合いを通じて近況を聞くと、その人はいまは荒れているようである。どこかで関係改善を図り、昔のように和気藹々とまた仕事をしたいのだが、そうもいかないのかもしれない。


人には出会うタイミングもあれば、別れるタイミングもある。あの時が別れるタイミングだったのだとすれば、運命には無理に抗う必要もないのかもしれない。あとは、自分のなかでの納得感だろう。


そして、誰も彼も平等に歳を取る。かつてどれだけ脂が乗っていた人であろうとも、学ぶことを忘れてしまえば一気に時流を掴めなくなり、なにをやっても失敗してしまう。そうなったときに、もはや一線で闘うべきではないと自覚して潔く身をひけるか、醜態を晒してでもあえて闘い続けるか、悪いのは自分ではないと不都合なことに目をつぶってダラダラとするか。


閑話休題。。


できることならば、一時代、一緒にいろいろと仕事をして、楽しい時間もたくさん過ごした人だから、これからももっと輝いてほしい、自分自身が傷つくかもしれないけれども、しつこいかもしれないけれども、また連絡を取るのだろう。