地政学。
ブラインド。
10年以上前に上司だった人と、本当に久しぶりに食事の機会があった。正直あの当時は少し辛くもあったのだが、今となっては良い思い出だし、こうして対等に渡り合う関係になったのは何はともあれ良かったと思う。
この人はかなり癖のある人で、金銭欲や承認欲求が強い。ただ分かりやすくカネ!オンナ!という男性ホルモン高めな人でもなく、本心のところは自己評価が低めだったりもするので、憎めないところがある。(なんだか腐してばっかりいるが、仕事における実務能力は群を抜いて高い)
正直いって僕自身にも似たような気質があるので、なんだか自分の10年後の姿を見ている(ただし僕は実務能力は高くない)ようで不思議な気持ちになる。傍目からみれば順調にキャリアを重ねているようでも、底知れぬ悩みもあるし、ましてや歳を重ねれば家族や親族の問題も抱えるようになってくる。周りで起こる事象には全て因果があり、それは見える人には見えるし、見えない人には見えない。僕には彼の因果が見えてしまうのだが、同じように自分自身の因果には気づけていないんだろうな、とも思ってしまう。
直感。
昔々は「企業戦士」なんてよく言われたけれども、すっかり死語になってしまった。これからの時代はそれがもっと進んで、企業が毎期しっかりと利益を叩き出すことの意義が相対的に落ち、それよりもそこで働く人の満足度が向上することのほうが重視される世の中になってくるはずだ。
もちろん企業のゴーイングコンサーンが保たれることが前提ではあるし、創業者が創業利得を得る必要もあるので一足飛びにとはいかないだろうが、企業の利益のためにヒトの人生が犠牲になるようなことはなくなる。
それだとこの国がますます世界から引き離されて貧しくなってしまう、などと心配するむきもあるかもしれないが、ただやみくもに「頑張る」ような時代は終わった。そもそも「頑張る」方向性もどんどん変わっているのだ。
前の時代の考え方を捨てることを恐れずに、これがこれからの自分のやり方だ、と胸を張っていればいい。誰かと比べるのでなくて、自分の直感だとか、幸せだと思うことに正直に生きればいい。
糾弾。
先週のワイドショーはほとんどあおり運転の報道だったそうだ。もちろんこの犯罪は許されるものではないが、繰り返し連日報道されるほどのものなのだろうか。ちょっと社会的制裁を受けすぎかなとも思う。
クレーマー気質の人間がのさばるような世の中にはしたくないが、彼らもまた鬱屈した感情を抱えるに至るまでに不幸な側面があったこともあるだろう。彼らはある意味では病気を患っているようなものであり、治癒されなければならない存在である。
世の中、どんどん異質な存在が排除されるようになってきている。「普通」であることに対して求められるハードルが高くなってきている。先日登戸での殺傷事件を受けて、元官僚が引きこもりの子どもを殺した事案があったのと同じようなことが今後も起こるような気がする。
もう、暮らしやすい社会になっているのか、息苦しい世界になっているのか、よくわからない。誰にとっても、いつ糾弾される側にまわる可能性はあるのだろう。
神戸。
かなり久しぶりに神戸に。こちらもまともに街中を歩いたのは2年ぶりくらいだろうか。プライベートではいくつかいい思い出があるのだけど、仕事ではパッとしない記憶しかない。
街中はところどころ再開発もされているのだが、いまいちにぎわいがない。海と山がそれぞれ迫っていて土地は狭いのだけど、ぎゅっと機能が詰まっている感じもなく、道路が広いのもあいまってガランとしている。ひと昔前の、どん底にあった大阪の街のようである。
大阪は紆余曲折ありながらもこの10年で見違えるほどに盛り返したし、明石や尼崎や西宮といった中間都市もそれぞれに魅力度を増した。神戸は残念ながらその流れに取り残されてしまったようだ。震災からの復興にあたっての打ち手が悪かったこともあるだろう。
「がんばろうKOBE」のフレーズとともに、街が一つになったあの年からもう24年も経ってしまった。行政も民間もなんとなく歯車が掛け違ったまま、無駄なことに資源が吸い込まれてしまった感がある。六甲アイランド、ポートアイランド、鈴蘭台、名谷、西神中央、緑が丘、うーんという感じ。
街。
何度か訪れたことのある、関西の西のはずれの街へ。2年半ぶりくらいだろうか、なんとも懐かしい。
移動の電車がなぜか空調のききがひどく悪く、汗だくの状態で駅に降り立つ。東京はもう涼しいのだけど、こちらは真夏がまだ続いている。昼間の太陽の熱がじわっと地面から放射されるような通りを歩く。
いろんな気持ちでこの街を歩いたことを思い出す。うまくいかずにふてくされたことも、案件が佳境で興奮を必死に抑えたことも、ぼんやりと気が抜けたことも。いつの時も1人だった。1人だったからこそ、いろんな気持ちと向き合ってきた。
人通りの少なくなったアーケードを歩く。この時間、中国人観光客が多い。変わらないように見えて、この街も変わっていく。この街は生まれ故郷ではないけれども、僕にとってはとても大事な時間を過ごし、いろんな思い出の詰まった街で、たまにきてその空気を吸いたくなる街だ。