ComfortZone.

早いもので今年も1/6が終わろうとしている。一応ハイシーズンになるのだが、幸か不幸かある程度落ち着いた毎日を過ごしている。年末の方がふわふわしていたように思う。

それぞれが慣れた持ち場で仕事をし続けるのは、業務の効率化という意味では短期的な効果をもたらすが、長期的な観点から見ると拙いのではないかと思うようになってきた。場合によっては、外部環境の変化に対応できず衰えていくことにもつながるのだと思う。

慣れた場所で慣れた業務をこなせば、相対的にストレスも少なくなるし、うまく仕事を回せている感覚を保つこともできる。心理的に居心地の良さを感じるので、あえてリスクを冒してまで新しいやり方や新しい分野に飛び込むことをせず、現状というComfortZoneに安住したくなる。そんな誘惑を断ち切ってチャレンジし続けることが、個々人でも求められているし、マネジメントは周りに対してチャレンジすることを働きかけていくことが使命なのだと思う。

ComfortZoneを抜け出すのは勇気がいる。ComfortZoneからあまりにも遠くに離れてしまえば、精神と身体を壊してしまうことにもなりかねない。少し抜け出して新しいことにチャレンジしては、ひゅっと元のZoneに戻るという過程を繰り返しながら自分の間合いを測ってみたり、ちょっとずつ異質なものを自分のなかに混ぜながら、時には自分で自分をうまく騙しながら、自分のなかでもともと線引きされていたZoneを拡げていこうと試みてみる。

心の奥底ではComfortZoneを抜け出したいと願っている自分と、新しい試みによって傷付くことを怖がっている自分がいる。うだうだ悩んでいる時間の9割くらいは、どうやってComfortZoneに居続けようとする自分を正当化するか考えていたりもする。考えれば考えるほど心は硬くなる。いざアクションを起こしてみればあっけなく終わるようなことも、一歩を踏み出す前には足がすくんで身体が思うように動かなかったりもする。脳を流れる血流が減ってしまったような感覚に陥ることもある。

それでも、どこかで腹を決めてComfortZoneを抜け出さなければならないと僕は思う。そうしなければ、いつかは弱って死んでしまうのだ。ComfortZoneに居続けることは、相対的に自分が弱くなっていくことを許容するのと同じことだ。本人も気づかぬタイミングで、居心地の良さが全く正反対のものに転位してしまうのだと思う。それはそれで苦しみになるだろう。そしてなまじ弱ってしまっているだけに、身動きの取れないなかでの苦しみを味わい続けることにもなりかねない。

もちろん人それぞれの選択があって良いとは思う。ComfortZoneに浸かり続けている間の幸せを心ゆくまで味わうという考えも否定はしないが。。