ギャラ飲みのpatoをよく愛用しているというMさんと食事。なんというか、こういう世界もあるのだなーという勉強になった。思っていたよりも相場が高い。それでも、こういうサービスの需要があるし、気軽に若い女性がこういうアプリに供給側として登録しているんだな、ということもわかった。
「若さ」を売る、ということなのだろう。倫理観の問題を横におけば、これはこれでひとつの稼ぎ方である。アプリというプラットフォームを用いることで、決済リスクも防げる。最初にこのサービスを思いついた人はすごい。
こういうサービスが市民権を得て浸透した分、煽りを喰って減っているサービス分野もあるのだろう。めざとく新しいビジネスに参入してひと山あてることはできなくとも、削られていく側には入りたくないな、、という思いはある。
いろんなことがAIやロボットに置き換えられていく一方で、人間だからこそできることは残っていく。人間だからできることにはより高いプライシングがなされていくべきである。そうなれば、おカネ、という代物の持つ価値も変わってくるのだろう。