なんというか、そこにいっちゃダメ、というサイドに堕ちていく人をよく見かけたこの2年くらいであった。もしかすると、これからさらにそういった人が増えてしまうのかもしれない。
まあでも、現実世界が辛いものである限り、荒唐無稽なものや陰謀論に傾倒してしまう気持ちもわからないでもない。もちろんそれによって人に危害を加えたり、家族のなかで果たすべき務めを放棄してしまうようであれば論外ではあるが、自分自身の心の平静を保つためであれば、そういう考えにすがってみることも、ひとつのやり方なのだろうとは思う。
その人が傾倒するものを無下に否定することが正解とは限らない。もちろん自分が巻き込まれないように適切な距離を取る必要はあるが、各々の人が大切に思う考えまでをも壊してしまうこともなきのだろう。
否定しあう行為さえしなければ、どんな信念をもっえも、どんな宗教に自らの精神を浸からせてもいいものだと思う。お互いの大切にするものを理解はできなくとも、認め合うだけでも充分だ。