セオリーから自由であること。

ノムさんの訃報に接する。月見草と呼ばれた現役時代、数々の野村語録、晩年妻を亡くしてから愛妻家であることが広く知れ渡ったことなど、この人については語ることがたくさんあるのだが、個人的には1992年のペナントレースが忘れられない。


この年は、1985年、2003年のそれぞれの優勝を挟んでずっと低迷期にあったタイガースが、唯一優勝に近づいたシーズンだった。当時生粋のタイガースファンだった僕は、それこそ祈るような気持ちで9月から10月の戦況を見守っていたことを思い出す。


最後は総力戦となり、野村監督もさまざまな奇策を繰り出してきた。ベテランの復活にチームの勢いを託したり、エース岡林を抑えにまわしたり(7回から9イニングを任せた!日もあった)、好調な打者から打順を並べてみたり、、勝つ可能性を少しでも上げるために、セオリーとされていたことをあえて外してもいろんな工夫ができるんだ、ということを初めて知ったのがあの時だった。ノムさんは本当に、誰もができないと思うようなときでも、なにか突破口がないかと頭をひねるアイデアマンだったのだと思う。精いっぱい生きた、素晴らしい人生だと言えるだろう。