デマと真実。

週末の台風のときに、フェイクニュースというか、デマの怖さを初めて思い知らされた。専門家でない部分は、本当にデマなのか真実なのか区別がつかない。台東区のホームレス排除、スーパー堤防八ッ場ダムなどなど、。

 

とある人が意図的にフェイクニュースを流す。そうしてそのデマを真実だと思い込みたい人がそれを真に受けて憤り、拡散する。台風のように、自分自身の基盤が不安なときにこそ、ひと呼吸おいて真実かデマかを見分ける心の余裕がなくなってしまう。自分の問題意識や願望に沿うようにニュースを解釈し、またそのようなニュースを自然と探してしまう。

 

こんなことが起こると、門外漢のことについてああだこうだと意見を表明するのが怖くなる。間違っていたら素直にそれを認めて謝ればいいのだが、心の余裕がなくなっているとそれも難しいのだろう。自分が完ぺきにできるとも思えないが、できる限りニュースには脊椎反射せず咀嚼しなければ。そして間違っていたときのふるまいこそが人の真価が問われるのだと肝に銘じたい。