復興とは。

朝からミサイルが日本上空を通過した日に、浜通りへ行く。

いわきまでは何度か足を運んだことがあるが、その先は14年ぶりの世界だ。いわきから車に乗りこみ北上すると、やたらとダンプカーやプロボックスが目立つようになる。

インターを降りると、コンテナにサイディングを貼ったという、地域一番のホテルが姿を現した。こう言っちゃあなんだが、張りぼてのようだ。こんなところに長期滞在するのは心身が疲弊するだろうに、と真っ先に思う。

民家の軒先には洗濯ものも干されている。8割がたの人は戻ってきているそうだ。とはいえ、学習塾とおぼしき建物の窓に土建屋の社名が貼られていたり、違和感を感じることが多い。

国道沿いには、真新しいプレハブ小屋が建ち並んだり、宿泊施設として目論んでいるであろうコンテナが積み重ねられたりしている。めざとくビジネスを拡げた人と、そうでない人の溝が深まったであろうことも容易に想像がつく。そして、地域に異質な人々がよそから入り込み続けている、ということの歪さを実感する。もといた人が、普段通りの生活ができるようになることが復興であるし、その道のりはまだまだ遠いことを思い知らされる。