収束。

最近、空から誰かが僕のことを見ているような気がする。「誰かが」「見ている」というのはけして物理的なものではないし、特定の人間というわけではない。が、僕の一挙手一投足は、確実に僕だけが知り得るものではないと感じている。

とある人のことを思い出した途端に、Twitterでその人のニュースが流れてきたり、道ばたで昔の歌を口ずさんでいたら、通りがかった店で流れていた有線で、全く同じ歌が同じタイミングで流されていたりする。そのたびに、背すじがぞっとする。まるで神さまから、お前の行動は全て見ているのじゃぞ、と言われているようである。

そんなことはただの偶然だ、と切り捨てるような気は全くしない。そこには間違いなくなにかの意図があるのだと思う。その意図はわからなくとも、起こったことと、湧き起こされた気持ちを真摯に受け止めて、精いっぱい自分の今できることに力を注ぐことが求められているのだと思っている。

年末に向けて、収束するように日々が過ぎていく。1日いちにちを丁寧に積み重ねて、この1年を終えたいと、強く思っている。