器と努力。

世の中というものは本当によくできているなあと思わされる。努力をせずなにかで成功したり、財をなすなどということはほとんどない。はたから見て努力をせずにそのような地位を得られたように見える人も、見えない水面下では相応の努力を重ねている。運が良いだけに見える人も、その運を受け取るための努力を怠らなかったということだと思う。

例外的に努力をせず成功が転がり込んでしまったり、財をなしてしまった場合にどうなるかと言うと、それを受け止めるだけの人間としての器がなければ、成功や財の獲得が逆に身を滅ぼすきっかけとなるのだと思う。悪銭ならば身につかないだろうし、器に見合わないほど不相応に持ち上げられることで自分を見失うこともある。

夜ひと眠りしてハッと目が覚めてから、悶々とそんなことを考えていると全く眠れなくなった。このようなことを考えさせられるということは、なにかの啓示なのだろうか。なにがあっても、今まで通り淡々と努力を重ねて、自分の器を広げようとし続ける、それに尽きるのだろうけど。