京橋、思い出の通り。

先週、出張で大阪に行った際に、ふと乗り換えの道すがら京橋駅に降り立った。次のアポまでまだ30分以上の余裕時分があることに気づくと、ふと足はグランシャトーの方へ向かった。

およそ10年前、週に何度も終業後の時間を過ごしたのがここ京橋だ。グランシャトーの近くの栄寿司という店には数えきれないくらいに通った。働きはじめて、社会人とは何たるや、ということの半分以上は、この街で教わったような気がする。

酒場の多いこの商店街は、朝はなんとなく気の抜けた空気が流れている。あれから相当の時間が経っても、京橋の街の雰囲気はいっこうに変わらなくて、すぐに懐かしい気持ちが自分のなかから溢れ出してくる。

もう京橋で飲むこともほとんどないのだろう。思い出は徐々に忘却されていき、良かったことだけが濾されて残っていく。人間の脳はなんとも都合の良いようにできているが、それでいい思いができるのならばまあ良いか、などと1人つぶやきながら、思い出の通りを歩く。