変化の罠。

今月3回目の大阪出張。道頓堀をぶらついていると、春節の文字をよく見る。店頭に化粧品や家電が詰められた福袋が並べられている。ついにかの国の正月まで祝って、観光客を呼び込むようになったのかと思うと感慨深い。

長堀通りには大型バスが連なって停められ、旗を振ったガイドが集団を率いている。寒いのに、二段のアイスクリームを舐めて、観光客が通りを闊歩している。中国本土の景気は減速気味だというのに、観光客の購買意欲は衰えないようで、両手に紙袋、家電の段ボール箱を抱えている人も多い。通りを歩く日本人は完全に少数派になった。

久しぶりに南の方にも足を伸ばした。新今宮のあたりに来ると赤茶けたアパートが所狭しと建ち並ぶ。ここは昔から日雇い労働者の街だったけれども、少しずつ開発が入っているようだ。中学生の頃、このあたりでよく部活の試合があり、恐々会場への道を歩いた記憶がある。このあたりの安宿にもバックパッカーをかついだ欧米人がのっしのっしと歩いている。

生まれ育った街を出て、やがてその街に仕事をしにやってくるようになって、変化した部分ばかりが目につくようになる。それはまるで、久しぶりに会った親戚がいつの間にか大きくなっていたり、年老いて小さくなっていたり、そんな時に覚える感覚に似ている。