女装のおじさん。

山手線に乗っていたら女装のおじさんに出くわした。年の頃は40代半ばくらいだろうか、日焼けした顔は眼鏡をかけているもののルージュも含めてしっかりとメークされている。服装はセーラー服。これまた日焼けして筋肉のついた脚がスカートからのぞいている。お疲れなのか、口を開けてゆらゆらと頭をふらつかせながら眠りに落ちており、せっかくおしゃれしているのにもったないなぁと思う。

昔から女装をした人を電車内で見かけることはたまにあったが、最近こういう人が前よりも増えているように思う。しかも年齢的にもおじさんの世代が多い(若い人で女装をしている人もいるのかもしれないが、それは気づかないだけだろうか)。おじさん世代の女装姿となると、肌のくたびれ具合とフレッシュな服装の色合いとのアンバランスさに違和感を隠せないが、そこまで嫌悪感を感じるものでもない。

女装のおじさんが座っていた向かい側に観光客とおぼしき欧米人の夫婦が立っていたが、驚きの表情をしていた。珍しい光景なのだろうか。欧米のほうが寛容な社会のように思えていたけども、確かに海外で女装あるいは男装をしている人の姿は見るのはタイくらいのように思う。そういう意味では、いろんな格好をして出歩ける日本の社会は、意外にも寛容さに溢れているのかもしれない。

女装ひとつとっても、身体は男なのに心は女性だというだけでなく、心は男でも女性の服装を身に付けることに快感を感じるという人もいるのだろう。それは変態的な趣味ではなくて、鉄道が好きだとか野球が好きだとかといった趣味と並列で捉えられるようなものだと思う。それを公衆の場で持ち出しても構わないのだ。正直、本当は女装してみたいと思っている男はそれなりにいるように思う。

その昔江戸時代の頃までは、庶民の間では女装も男装も比較的寛容に受け入れられていたようだ。その考えがいったん締め付けられたのは明治維新以降のことで、そうした規範が平成の世になってようやく緩まってきたように思う。学校の現場でも、対応が非常に柔軟になってきているように聞く。

女装も男装も受け入れられる社会であるべきだし、その方向に進んでいるとも思うが、それを承知でひとこと言わせてもらうならば、女装する人は男装する人に比べて努力が足りないかな、とは思ってしまう。身体のメンテナンスや、装う性としてのふるまい方など、もうちょっと気を使ってほしい。せっかくおしゃれして外に出ているのだから。。