はじまっている。

両親学級に行ってきた。

市が主催している夫婦揃って参加するイベントである。仕事もばらばら、年齢もばらばら、共通点は住んでいる場所ともうすぐ初産を迎えるという人たちが集まっているというのは、自分で言うのもなんだが妙なものだ。こういう場所ですぐに言葉を交わして仲良くなれるのはやっぱり男性よりも女性なのだなぁと思う(女性だって気軽に声をかけられるわけではないだろうけど)。

内容は講話からはじまって、赤ちゃんの沐浴だったりオムツを替えたり着替えさせたり、ということを男性が体験していく。7kg以上の重さのある妊婦体験ジャケットを着けて歩いてみたり、というコーナーもある。両親学級と言いながらほぼ父親向けのプログラムになっている。

途中でビデオを見た。父親となる男の人が膨らみはじめた母親となる妻のお腹に顔をくっつけて、「もしもし」だったり「パパだよ」だったり声をかけている。別の実験で、胎内にいる赤ちゃんはその声が聴こえている、ということが示されていく。だとすれば、赤ちゃんはこの世に産まれてくるその前から、既に感覚を持って、周りの人の影響を受けているのだ。僕はそのことに改めてびっくりした。

子どもができたと分かったとき、もちろん嬉しいと思う気持ちもあったけれど、正直なところ怖さもあった。子どもは親の姿を見て育ち、少なからず影響を受けることになる。僕なんぞの影響を受けて育つことが、子どもにとって幸せなのだろうか、人間の親としてふさわしいのだろうか、という葛藤がある。未だもって大人であるという自覚にも乏しいし、誰かのためにというよりも、利己的に行動してしまいがちである。とはいえその怖さは本質的にはどうにもならないものであるし、根が楽観的であるからそのうちそんなことを考えたことも忘れ去ってしまうのだろうけれども。

ビデオにはこんな内容もあった。産まれたばかり、まだ目もよく見えていない赤ちゃんが、父親の声に反応して手を動かすのだ。お腹のなかで聴いていた声と同じ声だと気付いているのかはわからないが、そんな能力を持っていることを知って驚いた。産まれたばかりの赤ちゃんはなにもできない、誰かが守ってやらなければならない存在であるにもかかわらず、既に複雑で豊かな感覚を持っているのだ。そして親が戸惑いや不安を抱えながらも、子どもは子どもでぐんぐん育っていくのだ。そんなことを気付けただけでも、両親学級に来た意義はあったな、と思った。