『わが母の記』

一昨年パリから日本に帰るフライトで初めてこの映画を見た。どこか心に引っかかる作品で記憶に残っていて、GWの締めくくりに改めて鑑賞した。

★★★

年月の移ろいとともに、変化していく家族の姿が描かれている。その中心にあるのは原作者である井上靖とその母であるが、登場人物一人ひとりの個性がしっかりと立っている。それとともに、出てくる風景が綺麗である。みずみずしい伊豆の草木、軽井沢の別荘での落ち着いた雰囲気、そしてクライマックスの沼津の海岸での早朝のシーン、それぞれが心に残る。

加えて、心に響くのは川奈ホテルでのシーンである。昭和30年代という時代とは思えないほどに豪華なホテルでの母の誕生会、大きなケーキがやってくる。そしてラテン系の生バンドが近寄ってきて、テーブルを囲む家族を盛り上げようとする。驚いてどうしたらよいかわからない表情をする母の姿を演じる樹木希林。どこからどう見ても幸せな家族の姿を切り取ったシーンであるはずなのに、なぜか見ていられなくなる、そんな不思議な気持ちにさせられる。

考えようによっては、この母は幸せ者とも言える。息子は大作家となり、社会的にも経済的にも恵まれた環境にある。しかしながら、母もまたわだかまりや悩みを抱え、満たされない気持ちをどうにか消化すべく、消えゆく記憶のなかでもがいている姿が描かれている。認知症が進み、記憶が薄れていくなかでは、環境の良し悪しはあまり重要なことではなくなっていくようにも思う。

そして、記憶が薄れていくなかでも残る気持ちのことが、作品の終盤にかけて描かれている。母親が記憶を失くしていく姿は、まるで重ねていった年齢が生まれたその時に巻き戻されていくようなものである。それでも決して忘れないのが、母親としての息子を思う気持ちなのだということが、徘徊する母親の姿を通じて描かれている。諸々の記憶が削ぎ落とされて、最後に残るのが、息子への愛なのだということが、これでもかと痛切に描かれているのがたまらない。

全てを忘れていくなかで、それでも残るものがあるとすればそれは何なのだろうか。認知症はただ単に呆けていくだけでなくて、心が本当に残したい感情や出したかった感情に純粋に特化していくことなのではないかと思う。認知症の方とうまく付き合うには、その感情をうまく引き出すための問いかけをする必要があるのではないかと思う。そんなことを思わせられる力のある作品であり、役者さんのそれぞれの魅力の詰まった作品だと思う。