そして父になる。

先週、再び「そして父になる」を地上波で観た。前回観たのは半年前だったか。

前回の感想として、福山雅治が演じる野々宮家の父親の、ものごとを強引に動かしていこうとする姿勢がことごとく裏目に出ている、というたぐいのことを書いているが、今回見てみれば、そこまで単純な話でもないな、というように感じた。野々宮家の父親は描写されているほどに最低な父親ではないし、これもまたひとつの父親から息子への愛情の形で、その愛情は息子に届いていないわけでもないのだと思う。逆に、リリーフランキー真木よう子が演じる斎木家の様子が、あまりにも温かく描かれすぎているように思う。まぁそういう設定だからしょうがないし、シンプルなストーリーだったからこそ観る人の心にすっと入り込む作品に成り得たのだとは思うけれども。

母はわが子をお腹に宿してからこの世に産み出すまでに母になるのだろうけど、父はその実感がない分、父になる時期は人によってまちまちなのだと思う。極端な場合では父にならないことも可能なのだ(法的な話をしているのではない)。ちょっとした経験や心がハッとする瞬間を細かく積み重ねて父になっていく。そんな機敏を見せることが、この作品の主題だったのだと2回目になってやっと気付く。また時間を空けて見れば新たな気づきがあるだろうか。