倶利伽羅。

出張が終了。いちばんいい季節で気持ちよく過ごせたがさすがに3日間は疲れる。

それなりにアポイントが詰まっていたが、2日目の夕方に時間が空いたので、倶利伽羅峠に行く。富山県と石川県の県境にあたる峠になる。倶利伽羅という名前はもともとサンスクリット語だそうで、奈良時代にインドからやってきた高僧が建立したという倶利伽羅不動尊が峠のピークのあたりに鎮座している。前にも書いたが、はるか昔のわが国は日本海側の方が栄えていたのだ。

国道からそれて山を登っていく。少し年季の入ったアスファルトが敷かれた1.5車線ほどの細い道は、その昔初めて峠を越えて敷かれた車が通行可能な道である。さらにその道路から、踏み固められたけもの道が分かれていく。これがまさにはるか昔から人々が行き来した街道であり、松尾芭蕉も「おくのほそ道」で歩いた道である。けもの道沿いにはかつて峠の茶屋であった廃屋が残り、昭和の中ごろまでは実際に人も住んでいたという。

細い道をさらに登ってゆくと、八重桜がちらほらと咲いている。一面の緑のなかに、濃いピンク色がよく映えている。日没が迫ってきて薄暗くなりはじめるなか、山を登りつめたところに不動尊がある。願い事があってここにきたのだ。

本堂はひっそりとしていて人もいない。お参りを済ませて、また峠を下る。海抜300メートルもない低い峠なのだが、海抜0メートル近い富山平野からそそり立っているだけに山深く感じる。ここ倶利伽羅峠は源氏と平氏が戦った古戦場としても知られていて、源氏が牛の角にたいまつを付けて夜中に奇襲を仕掛け、平氏の軍勢を大混乱に陥れたと「平家物語」には記されている。現実にそのような策が計られたかは何とも言えないが、源平合戦の大きな岐路となる戦いが行われた場であることは間違いない。2014年のこの場所はあくまでもひっそりとしている。

平野に下りてくるともうとっぷりと昏れている。風が強く吹く駅のホームで金沢行きの電車を待つ。もしかするとパワースポットだったのだろうか、普段感じないような昂揚感がある。脳内のメモリーいっぱいにいろんな感情がぱんぱんに詰め込まれている。その記憶が壊れないうちに、ノートを開いてペンを走らせて吐き出してみる。そうこうして顔を上げると、電車は倶利伽羅峠をトンネルで抜けて石川県に入っている。抜けるとその名も倶利伽羅駅。誰もいない夜のホームには、もの悲しく「アニーローリー」が流れている。