高山本線。

ゴールデンウィークまっただ中の3日間は出張。2泊3日の出張なんていつ以来だろうか。

初日は岐阜から富山へと北上した。ヤボ用もあり北陸本線経由ではなく高山本線経由である。昔から鉄道旅が好きだったし、社会人になってからも出張が多いので少なくとも本州ではたいていの主だった路線には乗っているのだが、高山本線に乗るのはなんと初めてになる。鉄道を抜きにしても、下呂と高山に車での旅行で立ち寄ったことがあるくらいか。

名古屋から特急に乗る。ディーゼル車なので、アイドリング状態の振動は自動車のそれに近い。岐阜で進行方向を変えて高山本線に入っていく。しばらく走って渓谷地帯に入ると、通信機器の電波も入らなくなったので、仕事の手も止めてひたすらぼうっと車窓を見る。桜の季節は終わって、前夜の大雨をたっぷり含んだ草木がみずみずしい。山は綺麗に植林され、水田には水が張られていて、しっかりと手入れがされている。手をかける人が今もいるのだなぁと感心するとともに、こうして手をかけることがいつまでも可能なのだろうか、と思ったりもする。この地域も将来はどこまで人が減るだろうか。田舎の素晴らしい風景も人がいなければ維持できないのだ。

特急列車であるものの、それほど速く走るわけではない。通過する駅の駅名標が読めるくらいの速さで、ディーゼルエンジンのノッチをこまめに入れながら走る。単線だが、普通列車も特急列車もそれなりに頻繁に走っているので、けっこうな頻度で行き違いが行われる。普通列車待たせて通過するような駅でも、ご丁寧に1度ホームで停車したりもする。停まるだけで列車のドアは開かない。スマートフォンで時刻表を開いて、次はどこの駅でどの列車とすれ違うはずだ、と照合する作業は楽しい。こういうことをしてしまうあたりは永遠の鉄道おたくなのだろう。上り列車が若干遅れているようで、想定される場所と若干違う場所での行き違いが続く。遅れに対応して柔軟に行き違いの駅や信号場を変えるとは、なかなか器用なことをするものだと感心する。

所用を終えて、再度車中の人となる。すっかり遅れは回復しており、引き続いて川に沿って粘り強く走る。そのうちに車窓に遅めの八重桜が見えるようになり高山盆地へ。高山でもしばし下車して、夕闇迫るなかさらに日本海側に進んでゆく。深い山、深い峡谷、もやが立ちのぼるなかをうなりを上げて走り抜けると、ふいに走りが軽くなり、富山平野に抜け出たことに気付く。さて今夜はなにを食べようか、と考える。