景洪での5日間。

先月のはじめ、Hotmailのアカウントがウイルスにやられたようで、登録されていたアドレスにほぼ一斉送信でウイルスメールが送られてしまった。メールが届くだけにとどまらず実害が発生していたら申し訳ないのだが。。

★★★

しかしながら、ウイルスメールがきっかけで、本当に久しぶりにとある人から連絡が来た。8年前に雲南を一緒に旅したWさんだ。

大学時代、とかく東南アジアにばっかり行っていた僕は、卒業旅行もまたアジア縦断を選んだ。ハノイに入り、中国雲南省を巡ってから、ラオスを抜けてバンコクにたどり着く3週間の日程だ。

ベトナムの山岳地帯から雲南の東部にかけて、いくつかの少数民族の村を訪ねて、ラピュタのように雲の上に浮かぶ町元陽から、人里離れたエリアをバスで3日かけて抜け、雲南南部の都市である景洪に向かおうとしていた。元陽までは見どころも多くそれなりに楽しめていたが、景洪までのルートは山また山であり、事前にバスの便もわからず、少々の不安を抱えていた。

果たしてその不安は的中した。元陽を出発したバスは想像を超える峠道を進んでいく。しばらくは、世界遺産にもなった素晴らしい棚田の風景を見ながらの道中だが、やがて土ぼこりの舞う山道をひたすらノロノロ進むようになる。6時間以上かかってようやく緑春という町に着き、その日はここで一泊。

翌日もひたすらバスに揺られる。自転車よりも遅いスピードなのだが、とにかく道がガタガタで身体が揺さぶられる。民族衣装を着た少女がバスの窓から派手に吐いている。10時間以上が経過して日が暮れようかという頃、バスの車輪が大きな石につかまって動けなくなった。人家のない山中。万事休すか。

そんな時にバスを降りて出会ったのがWさんだ。当時30代中盤くらいの女性バックパッカー。10時間以上同じバスに乗っていてお互い気付かなかったのも驚きだが、とにかくホッとした。ほどなくバスは再び動き出し、やがて地図にもない町で、自分たちがどこにいるかもわからないなか宿をとって部屋を共にした。

移動3日目は思いの外スムーズだった。泊まった町は山道を抜けたところにあったようで、あっけなく4時間ほどで景洪に着いた。せっかくだからと僕たちは一緒に行動することにして、それから数日間、周辺の村に遊びにいったり、東南アジアの雰囲気混じる中国最南部の風情を楽しんだ。2人ともそれまでの1週間全く日本人に遭遇しなかったこともあって、よくしゃべり、たくさんの音楽を一緒に聞いた。

そして束の間の休息が終わり、僕はいそいそとラオスへ、Wさんはミャンマー国境へと向かうこととなった。不思議な5日間だった。でも、少し心が軽くなった5日間だった。

Wさんとの間にはなにもなかったことを最後に付け加えておく。