気力一瞬。

陽が陰りはじめるとともに、冷気を含んだ風が吹き付けるようになる。しだいに空の蒼が濃くなり、家路に急ぐ人たちの姿を包み込む。生まれ育った街なのに、どこか別の国の街角に立っているような気分になってくる。

昔から、大切な試験や試合の日はいつもそうだった。朝目覚める時から、ひとつひとつの所作を丁寧に進めていく。まるでその手順を崩せば、勝負運が自分の手元からするっとすり抜けていくかのように、運を手放さないように充分な時間をかけて準備を進めていく。

それは例えるならば、棋士が将棋の対局に臨むにあたって、自分の座る座布団の周りに荷物を整え、駒を将棋盤に一枚ずつ並べていく過程に似ている。自分がこれと決めた流儀の並べ方に沿って、ひとつひとつの駒に力を込めるかのように、余韻を残して駒を並べていく。それは、対局中に自分の持てる力を全て出し切るためには欠かせない準備なのだろう。実際に対局が始まる前から、勝負は始まっているのである。将棋の世界に生きる誰もが、準備の大切さをそれぞれに捉えている。

準備を丁寧に進めることと同じくらいに大切なのは、勝負どころで気力を高める術であると思う。元阪神タイガースで抑え投手として活躍し、今はメジャーリーグに挑戦している藤川球児選手は、リンドバーグの「every little thing every precious thing」を甲子園球場での入場テーマ曲として長年使用し、特に「スタジアムに響き渡る歓声を吸い込んで、あなたはゆっくり立ち上がる」と言う歌詞の部分で一気に気力を高め、リリーフカーに乗り込んで登場する、というスタイルを貫いていた。人それぞれスタイルの違いはあれど、こういったルーティンをこなすことが、常に悔いのないパフォーマンスを出すためのポイントとなっているのだ、と思う。人の集中力は長く続かないからこそ、最適なタイミングで力を出すべく自分をコントロールする必要があるのだ。

こうやって準備を尽くしたり、自分をコントロールできているなかで、それでも勝負に負けことはある。けれども、やれることはやり尽くしたうえの負けであれば、自分自身で納得することができるし、悔しさよりもすがすがしさを感じることができる。この間のオリンピックでも、そうしたすがすがしい顔をいくつも見ることができた。

そうした勝負に取り組むことは、自分自身の再生にもつながるのだと思う。勝負を通して相手だけでなく自分と向き合うことで、新しい自分に会うことができる。勝ちっ放しでは感じられないこともある。だからこそ、いくつになっても、ガチンコの勝負をしていきたい。