16年という歳月、オリンピアンをもうひとり。

ソチオリンピックが閉幕した。最後までアクシデントなく終わったことにひとまずホッとする。

振り返って惜しかったな、と思うのはモーグル上村愛子。5回目のオリンピック、順位は7,6,5,4ときて、今回は4位となった。ひとつずつ階段を登ってきて、今度こそはというなか、出場選手中最速のタイムで乱れもなく降りてきながら、それでもメダルに届かなかった。それでも競技を終えた後の彼女は驚くほど晴れやかな表情でインタビューに答えていた。

16年前、彼女が高校生として地元開催の長野オリンピックに出場した時、僕はまだ中学生で、特になにをするでもなくフラフラしながら、オリンピックを見ていた。里谷多英が金メダルを獲って、同じ駅に住む友人が「やったぜ多英!」と叫んでいた。高校生ながら入賞を果たした彼女もまた注目されていて、その頃から名前は知られていた。

12年前はメダル候補として登場した。僕は高校を卒業して大学生活を始め、初めて手にした車を事故により失い、2台目の車を手に入れた頃だった。ひとつ下の代の新歓ビデオの撮影をしていた。今まだあの作品をどこかで見ることはできるのだろうか。思い返せばなんともシュールな映像だったように思う。彼女は期待されながらもひとつ順位を上げるにとどまった。

8年前はコークスクリューという大技を引っさげて、念願のメダルを、という期待はさらに高まった。銀行という場で社会人生活をスタートした僕は、23時前に帰宅して食事をかきこむかたわらで、チラッとオリンピックの結果を流し見るだけだった。彼女はその大技を完成させたものの得点は伸びず、5位に終わった。

4年前、今度こそという悲願のもと彼女はオリンピックに戻ってきた。30歳になっていたが、衰えを見せることはなく、未だメダル候補としての登場であった。決勝の模様は転職して3年近くが経とうとした会社でワンセグから視聴した。彼女は全力を出し切ったように見えたが、またしてもメダルには届かず、あの有名なインタビューが生まれた。

そして今回である。順番からすれば次は3位を刻むはずだった結果は、望み通りにはいかなかった。僕のこの4年間は、今までに経てきた4年間と比べてどうだっただろうか。そして次の4年間はどんな変化が待っているだろうか。

★★★

日本ではやたらと偉業やスポーツを物語として結びつけて語られがちである。けがや病気や障害を克服した、家族の支え、挫折からの復活、、あまりにも物語により過ぎていて、競技として語られることから離れてしまっていることも指摘される。それでも、物語があるからこそ、スポーツがスポーツであるのだと、そのように思う。