勝負と闘志について僕が考えること。

勝った負けたの世界で仕事をしている。競合相手にうまく裏から根回しされて負けることもあるし、勝ったとしてもそこで掴んだものがとんだまがいものだった、ということもある。しかしそんな世界のなかで、僕自身は前にもまして淡々と仕事をするようになった。勝てばそれなりに嬉しい(誰も見ていないところでニヤニヤすることはある)が、負けた時に食い下がるようなことがなく、諦めが早くなった。こうした態度はある意味では営業として失格なのだが。

仕事に慣れてきて、自分の地を出すようになったことで、こうしたポリシーになった(つまりもともとこういう性格だった)ような気もするし、勝った負けたの世界に身を置いたことで、新たに自分のなかに生まれた性質のようにも思える。そうした場でガツガツふるまう自分に違和感を覚えたことが影響しているのかもしれないし、熱くなって取り組んだうえで負けてしまった時の心のダメージを回避する為の本能的な行動だったのかもしれない。

勝負ごとにおいて、淡々としている、闘志にかけることはマイナスになるのだろうか、ということを考えている。現時点での自分自身の経験から言えば、闘志のあるなしは勝負には影響しないのではないか、と思っている。闘志が空回って視野が狭くなる、ということもあるだろうし、闘志がなくとも、自分の全力を出して(もしくは、限られたリソースを案件ごとに注いでいく)さえいれば、ベストパフォーマンスは出るのではないかと思っている。

なので、負けたことについてもすぐに忘れる。もちろん、自分の準備不足で負けたようなことについては反省すべきであり、身にしみて悔しがることもあるのだが、ちゃんとやるべきことを尽くしたうえでの負けであれば、相手に上を行かれたことについてはそれほど引きづらない。終わったことに拘っていても生産的でないし、次の勝負や、別の場所でちゃんと結果を出すことに切り替えたほうがよっぽど心身にとっても良いように思う。

もちろん、周りには勝負に対して闘志をむき出しにする人もいる。それは世代的なものも、個々の性格的なものもあるのだろう。僕だって、もう少し経験を積めば、淡々とやるのが良いのではなくて、闘志を出すことで引き寄せられる勝ちもある、と思えるような日がくるのかもしれない。それを奇跡といったような安っぽい言葉で表すつもりはないが、ロジックを超えたところで力が伝わって結果を導き出すようなこともあるのかもしれない。そういう場面に出会うことをどこかで楽しみにしている自分もいる。