成り上がるための資質。

ありがたいことにここ最近、一代で事業を拡大させて資産を築いた方とお食事させていただく機会がいく度かあった。身ひとつでチャンスを掴んだストーリーは聞いていて面白いし、ある程度のお金が回っていく仕組みを作った過程はもちろん勉強になるのだが、一方で自分にそこまでの野心がないことにも気付く。

育った時代や環境のせいなのかもしれない。若い頃を、『成り上がる』ことに猛烈な渇望を覚えて過ごせば、その階段をどんどん駆け上がっていくスリルや、ステージが広がりスケールが増していく展開に心が踊るのかもしれない。暴論になることを承知で言えば、僕がこれまでお会いした人のなかでは、団塊の世代の人にはやはり自分が成り上がりたいという意思を強く感じることが多い。純粋でむきだしの意思を感じることが多い。もう少し世代が下がって40代後半から60代前半の経営者になると、事業を通じて社会に貢献したいという文句が表にかぶさっているものの、その文句のすぐ裏にはそうはいってもカネ儲けしたいという意思を感じる(ことわっておくがカネ儲け自体を否定するつもりは全くない)。40代前半までの経営者には残念ながらほとんど会ったことがないので、何も言えない。想像だけで言えば、マーク・ザッカーバーグのようなタイプもいれば、与沢翼のようなタイプもいるということなのだろうか。

時代が変わろうとも、チャンスを掴んで、努力を積み重ねてカネや地位を手に入れる人は一定数現れる。そういった人たちのモチベーションとなるものもまた時代や環境の変化によって変わってくる。

また、どんなに優れた人でも、1人でできることには限界があり、仲間を迎えて力を合わせなければ、一定以上の成果を挙げることは難しいとすれば、各々のモチベーションのベクトルをある程度合わせていく必要がある。企業の規模によって、経営者の能力は変わっていく。うまく対応するところもあれば、対応できず空中分解していくところもある。それは野心や自分の意思だけではどうしようもない世界でもある。

僕がこれまでにお付き合いしたことがあるのは数十人規模の企業の経営者であることが多い。もう少し規模が大きい企業の経営者や、大企業でそれなりの地位に就いている人はまた違ったタイプの人間である。大きな組織のなかでカリスマ性を発揮できる人もいないわけではないが、稀である。そういう資質を持った人に自分が会ってみれば、なにか感じることがあるのかもしれない。