斉藤和義の替え歌について。

前に思っていながら心にしまったことを、やっぱり書いておこうと思う。

斉藤和義が好きだ。20歳前後の多感な頃に車の中でよくかけていた。とぼけたようにのどかなつくば近辺の風景と、哀愁を、感じさせるメロディがよくマッチした。
しかし、彼が作った反原発の替え歌『ずっとウソだった』は大嫌いだ。彼なりのメッセージを伝えたかったのだろうが、失望した。

歌詞はここではあえて載せないが、『俺たちを騙して、言い訳は「想定外」』というフレーズが特にひどい。何かが起こってから被害者ヅラなのだろうか。そして、自分たちは何も知らなかった、自分たちは何も知らされなかった無垢な市民だ、というスタンスなのだろうか。原発が危険なことは知らなかったのだろうか。

ものごとそれ自体の是非は別として、反原発、反TPP、反オスプレイ派の主張に懐疑的な見方しかできないのは、一時が万事こんな調子でものごとを主張するからだ。

先の戦争の時も、こんなことを言う人はいたのだろうか。戦争が終わってから、「騙されていた!」なんて言っていたのだろうか。

百歩譲って騙された、と考えるとしても、騙す方が一方的に悪いのだろうか、騙された方も、無批判に盲信した責任はあるのではないだろうか、その反省をすっ飛ばして、騙されたとわめくのは本当にみっともない。自分には考える能力と知性がないのです、と表明しているようなものだ。そんなスタンスでいればきっとまた騙されるだろう。そしてそこから何も学ぶことなくまた騒ぐのだろう。楽な立場でいいな、と思う。自分たちはあくまで外野の人間なのだから。でも、そんなスタンスで居続けても社会は何も変わらない。

斉藤和義が相当の覚悟をもってこの歌をアップロードした気持ちはわからないでもないし、その心中を思うと辛くもなる。しかしそれでも、この作品はひどいと言わざるを得ない。まさかロックな反骨精神からこの作品を発表したなんて言ってほしくはない。こんな幼稚な文章が、どれだけの風評被害と人々への言い知れぬ不安を与えたか、彼は理解しているだろうか。まぁ映画にしても音楽にしても、同じアーティストが良い作品を出すこともあれば、ひどい作品を出すこともあるので、彼の他の歌が好きだということには変わりないのだが。

あの春から2年以上も経って後出しジャンケンのようにこんなことを言う自分もかっこ悪いけど、今なお、イシューを変えながら同じように騒いでいる人たちがいる姿を見て、このことを言っておきたいと思った。