『闇金ウシジマくん』

週末、2年ぶりにプレイステーションを引っ張り出して何時間かプレイしてみたら、あまりに時間が食われることと、押し寄せてくる疲労感にびっくりした。昔はこんなことを数千時間とやっていたのだと思うとぞっとする。身体を動かすわけではないから体力的に削られるわけではないし、むしろここまではきょう到達したい!というゴールに向けて精神的には高揚するので、ついつい長時間、根を詰めてプレイしてしまう。プレイしているうちはいいのだが、終えて外に出た瞬間に意識していなかった疲れがどっと押し寄せる。テレビゲームと麻薬の構造は似ている。

★★★

最近になって、『闇金ウシジマくん』を読み通した。

闇金ウシジマくん 1 (ビッグコミックス)

闇金ウシジマくん 1 (ビッグコミックス)

ナニワ金融道』の主役が若者になったバージョン、と言うべきか。全体的に金融色も薄い。その分、人の精神が崩壊していく様や、引っ込みがつかなくなってずぶずぶ泥沼に沈んでいく姿が描かれている。また絵のタッチがリアルさを引き立てている。

金融の話であるが、カネが全てではなく、カネよりも大切なものがある、というメッセージがこの作品から感じ取れる。登場人物はカネがないから生きていけないのではなくて、つまらない見栄や肥大化したプライドから逃れられなかったり、隠しごとを守るがために、カネに困るようになっている。そういったものから自由になりさえすれば、少なくとも今の日本で闇金融に頼るほどカネに困ることはないし、セーフティネットも用意されている。それでも闇金融がこの社会に存在しているというのは、そのような習性から離れられない人間がそれなりの割合で存在するということだ。

もう一つ、この作品から人間は本質的に孤独で寂しいものだ、というメッセージを受け取った。買い物も、パチンコも、キャバクラや風俗も、極論を言えば孤独を解消するための手段である。しかしながら、それは本質的な解決というよりはその場しのぎのものに過ぎない。永続的に得ようとするにはカネを投じ続けるしかないが、そんなことが可能な人間はほとんどいない(あわせて、それで本当に楽しいのか、幸せなのかという疑問もある)。そして簡単に手に入る快楽は大切にできない。丑嶋馨がウサギを大事に飼い続けている(これとてカネのかかることではあるが)ということが、ひとつの示唆となっている。

この二つのメッセージは学校で、家庭で教えられているものではない。容赦ないストーリーではあるが、決して救いがないわけではない。現実は身も蓋もないが、それでもなお流されずに自分を持って生きていれば、自分なりのゴールにたどり着くこともできる(もちろん、それでもたどり着けないこともある)という、ご都合主義でないリアルを伝えているように思う。