遊びと仕事、遊びと勉強。

先週、仕事で久しぶりに財務モデルを作ってみた。今の会社に転職してきた頃、嫌というほどExcelとにらめっこして作業していたのが懐かしい。やってみるまでは面倒だなと億劫になっていたが、数年ぶりに手を動かしてみると、意外と楽しいなと思えてきた。言い方は良くないが、遊びのようなものに感じられた。

思えば前社長はよく、「遊ぶように働け」と言っていた。まさにその通りで、仕事とは遊びであったものがレベルアップしてお金をもらえるようになった、ただそれだけのことなのだと思う。仕事とは食べていくために行うもの、という考え方も否定はしないが、100%そうだと割り切って、耐えられるものだろうか。どんなにつまらなく見える仕事にも面白く捉えられる余地はあるだろうし、必ず学ぶこともあるはずだ。

仕事を仕事として構えすぎたり、自分のやりたいことと仕事を結びつけようとしすぎるのはあまり良くないと思う。ホッピングのように転職を繰り返す人がたまにいるが、仕事とはこうあるべきだ、こういうことをやりたい、という観念が強すぎるか、与えられた場所で真面目に仕事に取り組もうとして、理想とのギャップに苦しんでしまうことが原因なのではないか。遊びと仕事にそこまでの違いがあるだろうか。たかが遊びの延長だと思うくらいの方が、楽しく取り組むこともできるし、多少辛くても耐えられるのではないだろうか。簡単過ぎる遊びはつまらないとも言うし。

仕事として考えることで、不必要にネガティブになり過ぎていることはないか。遊びだからと言って、無理にポジティブに捉えようとしてはいないか。仕事と遊びに線引きする必要はないと思う。ハードワークであれば、必然的に仕事と遊びの境目は曖昧になる。少なくとも僕はそうでもしなければやっていられない。一生働かなくてもすむお金が手元にあったとしても、仕事をしようとするのは、仕事が遊びの延長にあるからこそなのだと思う。

仕事に限らず、勉強も遊びの延長にあるものだ。勉強も遊びも、上達すればするほど自分でできることが増える。勉強すれば、どんどん世界が広がっていく。学校で勉強していた頃は、勉強したことが何の役に立つのかわからないと思ったこともあったが、今になって勉強したことがじわじわと役に立つことを実感したり、あの勉強をしていればもっと今を楽しめたんだろうな、と思うこともある。大人になるまでに長い時間をかけて勉強するというのは、楽しみ方の幅を拡げるということに言い換えられるのだと思う。そのことを子どもにどう伝えるか、というのは難しいけれども。