僕自身の「巡礼」。

どうしようもない挫折感にさいなまれて、世界が自分と切り離されて、どこか遠いところに行ってしまうような感覚に陥ったことがあるだろうか。

僕は3回ほどある。そのうち2つは大学に入りたての頃。生まれて始めてのアルバイトを2ヶ月で理由も分からずクビになったことと、買って3ヶ月しか経たない始めてのクルマを自損事故で敗者にしてしまったこと、そしてもうひとつは、、これは今はまだ言いたくない(少なくともここ1,2年のことではない)。とにかく全部で3つある。

そんなことでショックを受けるのか、と思われるかもしれない。今なら、まぁ、しょうがないさ、と受け止められるのかもしれない。しかしながら、ここに挙げた2つのことについては当時の自分にとっては結構な衝撃であった。それまでなんだかんだいっても大した挫折もなくやってこられたのも理由としてある。3つの挫折については、人から見ればたいしたことはないじゃないかと言われるかもしれない。四六時中、世界と切り離されているような感覚を覚えている人がいるのならば、その人は僕よりもずっと辛いはずだ。そんな人のことを思えば、自分はまだ恵まれていて、その運命に感謝すべきなのかもしれない。

世界から切り離されていく感覚は、確実に自分を衰弱させる。そのまま気を抜いてしまえば、坂から転げ落ちていくような気分になる。なんとか世界から切り離されまいと気力を振り絞って頑張るしかない。頑張る、と言っても普段通りに淡々と生活を送るだけなのだが、衰弱している時はそのために頑張ることが必要とされる。そして、最終的にそんな状態から抜け出させてくれるのは、一に時間であり、次に周りの人との関わりなのである。抜け出すまでの時間は辛いけど、抜け出した後の自分は間違いなく以前よりも精神的に大きくなっている。不幸にも潰れてしまうことがなければ、どうしようもない挫折感は大きな学びを自分に与えてくれる。

人は、ふいに傷付けられて、ボロボロになって、それでも生きてゆく。いや、自分もまたろくな自覚もなく(もしくは無意識に自覚そのものに見てみないフリをして)他の誰かを傷付けていることもあるのだろう。なにかのタイミングで、あの時のあの行動はあの人のことをこんなにも傷付けていたのだと気付くこともあるのかもしれない。年を取って、自意識を取り除くことで見えてくるものもある、向き合えることもあるのかもしれない。

最後のひとつのことについても、いつか誰かに話せる日が来ればいいなとは思う(聞けばなんだそんなことかと言われるかもしれないが)。そして、また新たな苦難にさいなまれた時に、ちゃんとそれに向き合って消化できるように頑張ることができれば、と思う。後は、もしできることなら、誰かのそんな経験を聞いてあげられるなら、それは僕にとっても嬉しいことだ。