ガリ勉くん。

神戸大生がUSJでふざけた行動をとって注意を受けた事件で、友人が「勉強ばっかりしてきたから知識だけで社会性が身についていないんだ、情けないなぁ」という趣旨のコメントしていた。その認識にいろんな意味で考えさせられた。ちょっとムキになって反論してみたい。

まず、「勉強ばっかりしてきた」という点について。本件に限らず、国公立大学や上位の私立大学に入った人は相当の努力をした、という思い込みをしている人が、未だにそれなりにいるように思う。僕自身も、小学生の頃は学校のなかでもそれなりに勉強ができたが、僕のことを毎日ガリガリ勉強していると思っていた人が周りに多かったように思う。そりゃガリ勉に見られそうな黒ぶちメガネをかけていたけどあれはゲームボーイのやり過ぎが原因であって、学校と宿題以外に勉強など全くしなかったし、そもそも学校から家にまっすぐ帰らず外で遊んでいたし、夜は21時に寝るような子どもだった。それでも勉強ばかりしているイメージがつく(自意識過剰だったらごめんなさいw)のはやっぱり先入観が大きいのではなかろうか。

そんな僕も中学に進学して以降は全くの凡人になったのだが、中学や高校で出会った、東大や京大に行ったような人たちも、いわゆるガリ勉タイプの人はあまりいなかったように思う。普通の学校生活を送り、むしろ学校行事等や部活もそれなりにこなし、気付いたら現役合格していた、という感じだ。行事や部活に目もくれず受験勉強に没頭していた人も一定数はいたが、そうした人のほうが受験の結果が良かった、という傾向は感じなかった。もちろん前者の人たちも全く努力せずに合格に到ったわけではないのだが、少なくとも東大や京大に入った人がみな勉強ばっかりしてきたというのは大きな間違いであるし、勉強は努力に比例して結果が出るものではない(そしてこれは勉強以外にも当てはまる)ということも言えると思う。にもかかわらず、東大や京大に行った人はみな努力を重ね、やりたいことも我慢して勉強に身を捧げたと思い込んでしまう人が多いのはなぜだろうか。

もうひとつ、「知識だけで社会性が身についていない」という点について。知識、言い換えればテストの点と社会性には関連性がない。残念ながら。僕の奥さんと僕を比べて、テストの点では僕は勝てるだろうけど、正直言って社会性という点では僕のボロ負けである。欧米ならばトップエリートに対してノブレス•オブリュージュを求めていく教育が行われて少しは違うのだろうが、日本はそういう教育ではない。当然勉強のしすぎで頭がおかしくなって社会性を失ったわけでもない笑。

ということで反論してしまった。しかしながら、まれに努力だけで登りつめた人もいる(これは純粋に尊敬に値する)し、日本でも知性と社会性を高いレベルで両立する人もいるのは確かだ。