電王戦第3局。

またまた電王戦の話になるが、第3局のツツカナvs船江恒平五段戦はもの凄い内容であった。形勢が二転三転し、最後はツツカナが勝ちを掴んだが、名人戦竜王戦といった、正真正銘のトップ棋士が長い持ち時間で戦う将棋でしか感じられない、高いレベルの将棋に対して感じる興奮を覚えた。コンピュータの強さと、それに立ち向かう人間の執念を感じた。将棋のルールを知らない人が見ても、その異様な勝負の雰囲気に心打たれた、という話も聞いた。

コンピュータが指した勝ちを引き寄せる手を見ていると、あることに気付いた。人間の感覚や将棋の格言などに反する指し手が、一局を通じて何度かみられたのである。もちろん全体的に見れば、人間の感覚や将棋の格言に沿って指される手の方が多いのだが、いわゆる人間から見ると「感じの悪い手」を指して、逆転に持ち込む、優勢を拡げているという印象が残った。人間がこれまでの経験や感覚から無意識に排除している選択肢までコンピュータは丹念に検討することで、人間に見えにくい手を見つけ出す。特に終盤戦に入って指し手の選択肢が限られてくる場面では間違えることのない無類の強さを発揮する。そのようなコンピュータの強さを実感した。

しかしながら今回の対局では人間がコンピュータを上回る場面を見ることもできた。コンピュータの能力がいくら高いとはいえ、コンピュータ自体を作るのもまた人間である以上、その思考パターンには一定の癖が生まれる。その癖は、作り手が意識していなくとも必ず生まれるものではないかと思う。その癖を咎めることができれば人間が勝つチャンスがある、ということを感じた。逆に言うと、その癖が全くなくなったコンピュータを作ることができれば、人間が勝つことはできなくなるだろう(たとえ人間が最善を尽くしたとしても、単に先手後手の差が勝ち負けに結びつくことになる)。それはすなわち将棋の神さまがこの世界に誕生することを意味する。しかしながら人間がそのようなものを作れるのか、ということについては僕は懐疑的な見方をしている。

今回、コンピュータ対人間の戦いという、将棋棋士にとって自らの存在価値が問い直されるような戦いが行われ、しかもここまで人間が負け越すという事態が起こっている。しかしながら、コンピュータとの真剣勝負によってここまで人間側が得ているものはとても大きく、人間どうしが将棋を指すことの価値を損なうどころか、むしろ拡げているように見える。残り2戦も存分に楽しみたい。