イタリアの物売り。

去年の11月、パリとイタリア北部に行った。普段はなかなか1週間を超える休みが取りづらいので、妻が転職する合間の期間にあわせて思い切って2週間の休みを取った。歳をとってからも行けそうな場所ではあるし、南米などもっと遠いところに行く案もあったけれど、これはこれでよかった。まだまだ何度でも他のところに行くチャンスはあるはずだ。

★★★

イタリアの物売りが印象に残っている。土産物を売る露天商とは全く違って、路上で偽モノのブランドバッグを並べていたり、おもちゃの列車を走らせていたり、プラスチックの竹とんぼを空に飛ばしている。観光客にことさら声をかけるわけでもなく、ぼうっと突っ立っていたり、暇そうに売り物のおもちゃで遊んでいる。売っているのはきまって男性で、背の高さが2m近くありそうな若い黒人や、中国系のおじさんが多い。と思いきやイタリア人っぽい普通の人もいる。初冬の寒空の下で、みなしっかりと着込んで路地に立っている。

偽ブランドバッグはことのほか精巧なつくりで、はたから見れば本物と見分けがつかない。よくできているので、いきなり雨や雪が降ってきたり売り子が粗末に扱ったりしてキズものにならないかこちらが心配になるくらいだ。実際、一部のバッグに関しては中国製でもなんでもなく、イタリアの縫製工場が閑散期(閑散期でない時は正規のルートで本物のブランドから注文が入る)請け負って作っているものもあるらしい。そうなると、なにが本物でなにがニセモノなのかよくわからなくなってくる。そんな偽ブランドバッグが、街中にある本物のブランド直営店からそう距離のないところで店を広げていたりしているのは不思議な光景だ。

対しておもちゃは完全な子どもだましである。子どもの観光客ですら買いそうにない。歴史的建造物の前で、光る竹とんぼが羽虫のように舞い上がる。世界遺産の雰囲気が台なしのようでもあり、これもまたひとつの光景のようでもある。どの観光地に行っても、全く同じおもちゃが売られている。1日にいくつ売れるのだろうか、売れなかった時に胴元からペナルティを受けることはあるのだろうか、どこで寝ているのだろうか、夜になって冷え込んだなかを帰っていく後ろ姿にいろいろな思いを巡らせる。

イタリアの景気悪化、地盤沈下は相当なものだ。世界一旅行しやすいと言われているはずなのに、イタリア人の物乞い、スリに遭ったり、バックパックを掴まれたりもする。それだけではなく、地方の名もない縫製工場も、目の前のカネのためにやむにやまれず偽ブランドバッグの注文を受けざるを得ないのではなかろうか、と想像する。これもフラット化していく世界のひとつの側面なのだろう。